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 豊顕寺市民の森 ムービーはこちら


 三ツ沢公園に隣接している市民の森である。昨年4月に紹介した三ツ沢せせらぎ緑道がはじまる地下鉄三ツ沢上町駅から100メートルほど下町方向に戻ったところに豊顕寺の入口がある。
 今回散策してみて感じたのは、せせらぎ緑道につながっており、歩いて30分ほどで回れるので、一緒に回ってしまうのもいいかなと思った。4月には桜も満開になるので、お薦めのコースである。
 入り口はストレートに寺の境内に入る。まずこの寺の由緒書を見ると「 当寺は、法照山と号す法華宗陣門流総本山本成寺末の寺院です。
 三河国多米村(現愛知県豊橋市多米町)の郷士多米元興は、先祖菩提のため永正12年(1515)多米村に本顕寺を建立しました。元興の父元益は、伊勢七騎の一人でした。
 (伊勢はのちに北条氏と称す)元興は天文年間(1532~1555)北条氏が関八州を領有した頃、青木の地に城塞を構えていましたが、後に連信斉と名乗りΞツ沢のこの地に隠棲して本顕寺を移し、豊顕寺(ぶげんじ)と改称しました。元興の歿後、その子長宗は青木城を領し、元興の隠棲の地を当寺に寄進し、堂宇を造営したので地方には稀な巨刹となりました。
 亨保5年(1720)本宗の学舎5棟。学寮25棟を建設し開講式を挙行しました。学徒は300人を下らぬ盛況を極めたといいます。その後も再建・増築をし宏大な規模になりましたか、明治期になり火災による焼失、大正期の地震による倒壊によってて檀林は廃絶いたしました。
 境内には。鷲津(静岡県)の本興寺から根分けした藤を記念しての碑が藤棚の下にあり、また江戸から保土ヶ谷宿に来宿し。宿内の人々に歌学を教授した山平伴鹿の歌碑があります。多米家歴代の墓は、境内左側にあります」とあり、かなりの名刹であることが分かる。
 山号が法照山とあるが、この市民の森全体が寺の敷地であったとみられる。なだらかな坂道を登りきると、トップページで示した案内板があり、すぐ側の出口を出たところは三ツ沢公園である。ここには大きな広場があり、巨大な慰霊塔が建っている。説明によると「慰霊等ご案内 この慰霊塔は、西南戦争以来、第二次世界大戦 に至る戦争犠牲者二万余柱の御霊を永年安置する ための慰霊塔であります。 慰霊塔は、二基の塔と、安置堂その他からなり 昭和28年3月、1000万円の経費にて建設 されましたが、このうち700万円は、市民からの募金によったものであります。 塔は門を象徴しており、向かって左の塔は、高さ18メートルで上部を欠いてあり、下部に「昭和二十年」の五文字を浮き出してあります。 これは、今次大戦ではらった大きな犠牲と破壊を表したものであります。 また、向かって右の塔は高さ25メートルで新生日本が雄々しく、将来にむかって発展する姿を表したものであります」
 この塔の向かって右側にも小さな慰霊塔があり、建立時説明板には「戦没者の慰霊と恒久平和を祈念して建立された。 塔上には、地球を表していると思われる石球と何やら不思議な造形の像が2体で手をつないでおり、世界平和を表しているのであろう」と記されている。
 また元の道に戻り、帰りは別のコースを選び、子ども公園の側を下って行った。ここには長い滑り台が山のスロープを利用して設置されており、多くの子どもたちで賑わっていた。その途中に早咲きの桜を目にすることができた。まだ5分咲だろうが、十分に鑑賞に耐える美しさを見せていた。大体45分ぐらいの楽な散策を楽しむことができた。
 

 




 



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