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 道元「現成公案」私訳構想


 24回にわたって掲載した「老いて後に禅に学ぶ」において、禅とは何かから始まり、道元の思想を凝縮していると言われる「現成公案」の巻までを、研究者の現代訳により、教科書のように学んできた。
 訳文だけでは、意図するところが理解しがたかったというのが、正直な感想だ。これは私の浅学のなせる業である。「正法眼蔵」という大きな森を見ずして、いきなり最も難解とされている「現成公案」という木々に取り組んだのだから、そう簡単に道元の大きな森に門前払いされたのも納得できる。
 そこで、今まで作成した教科書をベースに、「正法眼蔵」にも参照の目を注いで、私なりの視線で「現成公案」を私訳することにする。
 今回はどのような骨形で、示すか章立てに当たる部分を紹介することにする。
序;老いて後に「禅学Ⅰ」で語られた、鈴木大拙氏と頼住光子氏の節を元に「禅とは何か」という本来的疑問に答えることにする。
道元思想の背景にあるもの;老いて後に「禅に学ぶ2」からは、頼住氏の道元の思想についての論評から、道元思想の根底にあるものを探る。
道元禅の難解な訳;老いて後に「禅に学ぶ3」からは、他の宗教との根本的相違と膨大な禅語録に語られている、世の中の不条理性について言及する。
禅の非論理性;老いて後に「禅に学ぶ4」からは、禅の非論理性について道元の言葉を借りて明らかにする。
現成公案第1文節;老いて後に「禅に学ぶ4」からは、第一文節原文「仏道をならふというは…」を示し、後に研究やの訳文を参考にしながら、私的現代文訳を試みる。
 以下同様の形式で原文対比の訳を第八文節まで現代文訳していく。
 以上をもって、道元の思想の満分の一でも理解することができれば望外の喜びである。なお掲載方法は一章(一文節)ごとに公開していく予定である。


 









 


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