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 老いて後に(禅に学ぶ23)


 現成公案の紹介もいよいよ最終章に入る。私が参考にしてきた文節としては第八文節になる。今まで通り、原文とその英文訳並びに語句の注解を付した後に、次稿で現代文訳と解釈を示すことにする。訳文には参照した文献の著者名(敬称略)を記すことにする。
原文「しかあるがごとく、人もし仏道を修証(しゆしよう)するに、得一法(とくいつぽふ)、通一法(つういつぽふ)なり、遇一行(ぐういちぎやう)、修一行(しゆいちぎやう)なり。これにところあり、みち通達(つうだつ)せるによりて、しらるゝきはのしるからざるは、このしることの、仏法の究尽(きうじん)と同生(どうしやう)し、同参(どうさん)するゆへにしかあるなり。得処(とくしよ)かならず自己の知見(ちけん)となりて、慮知(りよち)にしられむずるとならふことなかれ。証究(しようきう)すみやかに現成(げんじやう)すといへども、密有(みつう)かならずしも現成(げんじやう)にあらず、見成これ何必(かひつ)なり」

英文訳(ネルケ無方)「Thus when you encounter one thing, you become one with it. Wherever you do, you do it completely. This is how you actualize the way of awakening through your practice.
Here is your place, this is where your path leads you through. The reason why you cannot know the extent of your knowledge is because knowledge only arises simultaneously with exploring things as they are. Knowing and exploring things are one and the same. Do not think that all the places that you pass through become objects of your personal knowledge. You do not get to know them by thinking.
Whatever you discover in your explorations will manifests clearly, but it is not some kind of secret being that manifest thus What is it that manifests thus in front of your eyes?」

注解(水野)
得一法通一法・遇一行修一行:上の修証と対になる。時々刻々見まうものによって専心修行し、明心証会することができること。
これにところあり:そのための場所はちゃんとある。
注解(増谷)
しる:しるし(著し)である。明白であるとか、際立っているとかいう意味。
密有:密には、精密の意と内容の意の両方の意味がある。ここでは、内証すなわちわが証し得たる内なる所有というほどの意。
現成:目に見えるような姿かたち。(2017.7.24)


 









 


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