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 第十九話 矢村の弥助



 むかし信州に矢村の弥助という優しくて親孝行の若いお百姓さんが住んでおりました。正直者でよく働く男でしたが、家は貧乏でした。ある年の暮れに僅かな銭をもって、正月支度の買い物に歳の市へと出かける途中で、道端の罠(わな)に一羽の山鳥がかかって、バタバタとしているのを見かけました。「これは可哀そうなことに、私が助けてやろう」と罠の糸をゆるめて山鳥を解き放ちました。「ただ逃がしては罠の主、に済まぬ」と思って手に持っていた一連(ひとさし)の銭を、山鳥の代わりにその跡へ挟んで置いてきました。もう買い物の用を足せなくなったので、手ぶらで戻ることになってしまいました。
 家の母親も心の優しい人で、「それは好い事をしてきた」と言って、親子二人で何もない寂しい正月を送っていました。そこへ見慣れない若い娘が一人訪ねて来て、「私は旅の者、雪に降られて難儀をしています。何でも働きますので、春になるまでここに置いてください」と言って、家に入れてもらいました。この娘はお婆さんの代わりに色々と家の用をして働きました。至っておとなしい綺麗な娘でした。「親も身寄りもない人ならば、いっそこの家の嫁のなってくれぬかの」と、弥助の母親が相談したところ、喜んで承知をして嫁になりました。
 それから何年か仲良く暮らしているうちに、有明(ありあけ)山に悪い鬼が現れて田村将軍が朝廷の仰せを蒙(こうむ)り、鬼退治に行くことになりました。矢村の弥助は弓が上手でしたから、将軍のお供を命じられ、鬼退治に同行することに決まりました。その時に弥助の女房がそっと弥助を呼んで、こいうことを申しました。「有明山の鬼は魏死鬼(ぎしき)といって、ただの弓矢ではとても射倒すことができません。十三の節ある山鳥の尾羽を矢に着けて、その矢で射るならば、一矢でも倒すことができます。一世一代の男の大事だから、その羽根を私が差し上げましょう。私はずっと昔の年の暮れに罠にかかって、あなたに命を助けられた山鳥です」と言って、泣きながら何処か彼方へと飛び去って行きました。
 後には十三節の見事な山鳥の尾羽根が残してありました。そうしたことがあって、有明山の鬼は弥助の弓で倒されました。その後日本アルプスの山が明るい山になったのは、この矢村の弥助の手柄があったからなのです。弥助はその手柄によって莫大なご褒美を頂き、永く信州の山奥にその名を留めました。
信濃南安曇郡(2017.7.21)



 



 


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