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 第六話 猿政宗


 昔九州のある大名の飛脚が二人、大名の手紙を江戸に送るために、東海道を通る旅に出ました。興津(静岡市清水区の地名)の宿を朝のまだ早いうちに立って、薩た峠という大きな坂道を海岸の方から登って行こうとする所で、一人の飛脚が何気なく浜の方を見ますと、珍しく大きな蛸が一匹浜辺であの長い足で何かを絡めつけて、海の中に引き込もうとしています。よく見ると絡め捕られていたのは猿でした。猿は岩の角にしっかりとしがみついて、引き込まれないように一生懸命頑張っていました。蛸の方が力が強そうに見え、猿の形勢が悪いように見えました。
 そこで飛脚たちは「助けてやろうじゃないか」と、小石などを投げて脅してみました。けれども蛸は平気で中々その手を離そ放そうとしません。そこで二人共荷物を道端において、磯伝いに走って行って脇差しを抜いて蛸に切りつけますと、やっとのことに掴んでいた手を解いて、蛸は水の中にするすると入っていきました。
 ところが、その猿は間一髪で一命を拾って、いかにも嬉しそうにその場を飛び退いて、二人の恩人の側に近寄って来る様子でしたが、どうしたことか何と道の脇に置いてあった御状箱を担いで、とっとと山の中に走って逃げていってしまいました。その箱の中には、何よりも大切な御用の手紙が入っているのです。山には峠道より外に登っていく道はありません。峠道の草むらを押し分けて、逸る気持ちを抑えて猿の後を追いかけて見ましたが、もう何処へ行ったのやら、影も形も見えませんでした。御状箱がなくなっては、道中を続けるわけにもいかず、これは飛んでもない事になったと、二人は困り果て、呆然として峠の中ほどに佇んでいました。
 そうするとしばらくしてから、遥か向こうの山に再び同じ猿の姿が現れました。あれあれといって見ていますと、片手には御状箱を高くささげ、片手には何か長い薦(こも)包みのような物を抱えています。不思議に思っているうちに段々と二人の傍へ近寄ってきました。そして二人に前にその二点を置きました。先ず先ず大切な御状箱が、無事に戻ってきたので大安心しました。今一つの方は何であろうかと、手に取って見ようとしますと、猿は山に帰って行きました。
 これはこの品をお礼に持ってこようと思って、しばらく二人を足止めするために御状箱を持っていった猿の知恵が、初めて解ったのでした。
 それでその薦包が何であったかと開いてみると、中には白木の棒鞘に入った一振りの刀が見つかりました。それを江戸に着いてから後に、その道の人に鑑定してもらいますと、紛れもない五郎正宗の名作であったそうです。研ぎ立てて見れば一点の疵もなく、いかにも見事な古刀であったので、これを殿様に献上することになりました。寸尺といい形といい、殿がその頃お望みであった刀にぴったりで、二人の飛脚には手厚いご褒美が下賜されました。
 その名刀は猿正宗と名付けられて、永くお家の宝物の中に加えられたということです。めでたしめでたし。(原典は阿州奇事雑話)


 


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