昔々肥後国の真弓の里( 現在の熊本県玉名郡あたり)という山奥の村に一人のお爺さんが住んでいました。毎日山に入って薪を伐って、それを関の町へ持って出て、細々と暮らしを立てていました。
ある日どうしてもその薪が売れないことがあって、町の真ん中を流れている川の橋を何度となく渡って町中を歩いてみましたが、一人も薪を買う人はいません。しまいにはくたびれてしまって、その橋の中程にきて休みました。
そうしてその薪を一把ずつ、橋の上から川の淵に投げ込んで、龍神様に拝んで帰って行こうとしました。
そうすると不意にその淵の中から見たこともないような美しい若い女の人が出てきてお爺さんを呼び留めました。その女の人の腕には小さな本当に小さな子どもを一人抱いています。
「お前さんが正直に毎日よく働いて、今日も薪を持ってきてさし上げたことを、龍神様は大変喜んでおいでになります。そのごほうびにこの子をお預けになるので連れて行きなさい。この御子ははなたれ小僧様と言って、お前さまの願うことはなんでも聴いて下さいます。その代わりに、毎日三度ずつ、ぜひとも海老のなます(膾)をこしらえて、お供え申さなければなりちません」と言って、女の人はその子どもをお爺さんに渡して、再び水の底に帰っていきました。
お爺さんは大喜びでそのはなたれ小僧様を抱いて、真弓の里に戻ってきて、神棚の脇に小さな小僧様をすえて、大切に育てました。米でもお小遣いでもなんでもかでも欲しいと思う物があれば、この小僧様にちょっと頼むと、直ぐにふうんと鼻をかむような音をさせて、それをお爺さんの目の前に出します。あんまりこの家はきたなくなくなりました。もっと大きくて新しい家を出して下さいというと、家のような物までもただ一度の鼻の音で出てきます。そうして思っていたよりもなお美しい立派な家でした。倉や道具なども段々に出て、わずか一月ほどの間に見ちがえるような大金持ちになってしまいました。山へ薪を採りにはもう行くに及びません。お爺さんのやる事は毎日町に出ていって、なますにする海老を買うことだけになりました。
ところが段々と月日が立つとともに、そのたった一つの役目までが、少し面倒くさくなりました。そうしてしまいにははなたれ小僧様を神棚から下ろして、お爺さんはこういうことを言いました「はなたれ小僧様、私はもうあなたに何もお願いすることはありませんから、どうか竜宮へお帰り下さい。そうして龍神様によろしくお伝え下さい」と申しました。それを聴いて小僧様は、黙って外へ出て行かれました。そうしてしばらくの間家の外で、すうっと鼻を啜る音をさせていましたが、そのうちに段々と家も倉も、その中にあった物も一つずつ消えてなくなって、あとにはただ以前のあばら家ばかりが残りました。「これは大変だ」と急いではなたれ小僧様を引き留めようと思って飛び出しましたが、もうどこにもその姿は見えなかったそうです。(肥後玉名郡)