homewatchimagepaintpre2017

 浮世絵を楽しむために

 私のホームページでは既に100点近い浮世絵をアップしてある。
 私が浮世絵をコンテンツとして選んだのには単純な理由がある。ご覧になってお気づきのように、全て版画である。これは以前にも言ったように私が描いている絵は塗り絵である。塗り絵には版画のように線がはっきりし、色も単純な構成(水彩画のようなハーフトーンの色は再現が難しい)なものほどよい。ただ着色していくうちに浮世絵の魅力に惹かれるようになった。作品にもよるが私が扱っている江戸浮世絵には技法や色遣いに個性があって、けっこう奥深いものがある。浮世絵は江戸庶民の生み出した独自の文化である。古来からある伝統的系譜を汲む狩野派などのような御用達の絵画とは出自が違う。時代の違うポップカルチャーと言ってもいいだろう。
 浮世絵というものが生まれたのは江戸時代天和年間(1681~84)と言われるから将軍綱吉の時代である。
 丁度この頃井原西鶴によって浮世草紙という大衆小説が大ヒットした。これと軌を一にして浮世絵も世に出た。浮世の語源は「憂世」で厭世的な人生感に端を発する。それが近世になると庶民はそれをポジティブに変える。どうせ束の間の世なのだから、浮き浮きと楽しく暮らそうという考え方で「憂世」を「浮世」に変えてしまった。江戸っ子のの心意気のようなものがそこには感じられる。
 そのことは今までに紹介した作品にも感じ取れるもので、当時の武家社会で受け入れられていた絵画は狩野派のように伝統的に幕府や大名御用達の絵師の手になるものであった。流儀として中国の宋原画と室町漢画を源流とする伝来技法によるもので、雅に重きを置くもので庶民の風俗的な好みとは相いれないものであった。そこに浮世絵が大衆に受けた素地があった。
 庶民のものになったのは版画のおかげである。木版刷りは今でいうコピーだから、たくさん取れて安価に手に入れることができた。これは現代のリトグラフと似ている。
 その芸術性を評価したのは日本ではなく、ヨーロッパで19世紀末にジャポニズムという潮流が起き、浮世絵が西洋の画家を魅了する存在になった。ゴッホなどは広重の「名所江戸百景亀戸梅屋敷」を自分の作品に取り入れている。
 日本では漫画とかブロマイドのような扱いを受けていたものが、芸術的な評価を受けたことは、何ともおかしな話である。
 喜多川歌麿などは生活のために春画も多く残している。そのリアルさ故にポルノ取り締まりに合い、それが原因で早世している。私が取り上げているあとの二人はとても長生きで、しかも高齢になってから後世に残る名作を次々に発表している。そのエネルギーには驚嘆するところがある。一部私の「改訂版描画」で紹介しているが、北斎などは70歳を過ぎてから「富嶽三十六景」を書き始め、後年には北斎漫画という庶民の生活を題材にした作品を発表しているが、これは弟子のために描かれた手見本と言われている。
 この二人の浮世絵師は芸術家ではなく、癖の強い職人のような人物だったのだろう。人間味があって愛すべき人物である。私も息長く彼らの残した道筋を辿っていけたらいいと思っている。


 


Copyright 2013 Papa's Pocket All Right Reserved.