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 魅るヒント(2)


 「みる」という言葉は通常「見る」と書く。しかし、ここでは「魅る」と表現した。これは一般的には「みせる」という表現の時に使う言葉だが、敢えてこれを「みる」と読んでもらうには、それ相応の意図があるからだ。
 見るは漫然とした「視る」ことと同義語で、それ自体には情緒的感覚は含まない。私の造語である「魅る」は辞書には出てこない言葉だが、人の感覚に呼びかけることを意図した「見る」ということに特化させたものと理解していただきたい。
 従って、前の稿でも述べたようにあらゆる事象(森羅万象と書いた)を固定的でない開放的な感覚、またはフィーリングで自分の五感というフィルターを通してみることが大切である。
 それを具体的に示しているのが、ウェブ上で展開されているホームページということになる。これは私的作品(見方によっては人真似)を公開している場所である。このことを再確認して先に進む。
 その中身はいくつかのアイテム(むつかしく言えばジャンル)で構成されている。大別して4つのポケットで示しているが、ほかにもメインであるコラムとして「日常細事」があり、トップ画面のイラストとして「人物百相・生物百様」(合わせて『万物百態』 の図)を置き、さらに毎日が「何の日」であるかを暦や年中行事、県内のイベントなどでまとめた「時の風物詩」がある。
 中でも力点が置かれる「日常細事」は週2回のペースで書き続けているため、題材探しに大変苦労する。自分が見聞した諸々のことを、新聞のように特定の出来事を論調(評論) していくような話題を避けて書くことにしている。
 それはそうした話題に対する知見がないことは確かだが、政治ネタには必ず二面性があり、同時にグレーゾーンも多い。そこに切り込むのは危険だと「ささやく声」がある。あえて「花壇に咲く花」ではなく「道端に咲く野草」に目を向けるように、地味で日常的な事柄や事象に視線を据えている。次回以降にそれぞれのジャンルについて自分なりの目の付け方を示していくが、こうした作業に必要なのは、自分自身の「魅る」位置取りということになる。

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