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 魅るヒント(3)


 私のホームページを基に『魅る』ヒントを探ることにする。第3回目は「Watchのぞむ」の中身を見て、その発想の要因から「魅る」に至った経緯を説明する。
 Watchには4つの区分がある。「名所・旧跡」「四季の散歩」「公園散策」「風の記憶」の4つである。
 「名所旧跡」は市内の寺社が中心で、ほかに旧東海道の跡などを取材した。これらに共通するものは歴史の跡である。現在目にする寺社などは、中にある仏像やご神体に関わる由緒あるものは残されているだろうが、外見は復元(古い形を維持して建て替える)されたものばかりだ。道路脇などにひっそりと残っている道祖神などは、江戸時代のものと思われる古いものが多く見られる。こうしてものを実際目の前にすると、昔の旅人の姿が、恰も北斎や廣重描く道中姿で浮かんでくるような気になる。
 この感覚は郷愁にも似た懐かしさを伴うものだ。これは日本人のDNAとして引き継がれた血のなせる技かもしれない。この感覚が「魅る」に繋がっている。
 神社仏閣でも同様、往時を偲ぶ姿が再現されたものだから、そこに古き時代を「魅る」感覚が涌き出してくる。
 「四季散策」は季節ごとに変わる風景を、公園などを散策して感じ取ることができる。その名が示すように『四季の森』は、季節ごとに変わる花や樹木を飽きることなく見せてくれる場所である。これは庭園である『三渓園』も同じである。大体毎年訪れるが、その度に生まれ変わった景色に出合う。その裏には庭師と呼ばれる匠の技が、隠し味のように滲み出している。人の手を感じさせないところが匠の匠たる由縁であろう。もし人の手が入らなければ、一年で荒野と化してしまうに違いない。この庭園美は最早芸術の域に達している。時の流れの中に「魅せる」べきものを見せるように、「企む(たくらむ)」ことが匠の技であると言えよう。
 こうした「企み」を「魅る」という感覚で読み取ると、一味違った美を自分のものとすることができる。
 『公園散策』も似たような体験を得ることができる。一種の森林浴のような肉体的なリフレッシュとなる。これは公園の木々が発する電子のように目に見えないイオンが満ちているからなのかもしれない。何気ない小川のある『せせらぎ緑道』 も忘れてならない自然の彩の一つである。水の流れは静の中にある動である。木々のざわめきと水の音が自然のハーモニーを奏でるのも「魅る」感覚を呼び覚ます役を果たす。
 『風の記憶』は本来このジャンルの中核をなす項目なのだが、数が少ない。タイムトリップさせてくれる年中行事の中に身を置くことで感じる、一種のノスタルジーめいたもので、実体験としての神輿を担いだり、盆踊りの中に交じって踊るわけでもないので、中々「魅る 」にまで至らず、「見る・観る」の段階で終わってしまうのが残念である。「魅る」は実体験の中にあるものなので、そこが難しい。

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