第4回目は「Writeしるす」から「魅る」がどこにあるか探ってみる。
「Write」は大別して「エッセイ」と「ノート」に分けられる。エッセイはコラムの字数が多い文章で、大体1500字くらいが目安になる。随筆と呼ばれるもので、折々に感じたことや出来事をまとめて文章にしたものだ。ノートは仕事に関する「覚え」みたいなもので、少し専門分野風の内容となっている。
現在「エッセイ」で取り組んでいるテーマは『老いて後に(禅に学ぶ)』と『魅るヒント』でシリーズ化している。このテーマのどこに「魅るヒント」が隠されているというのだろうか。
ここでは『魅るヒント』は課題そのものなので外して、『老いて後に(禅に学ぶ)』について探ってみる。
私の場合生きているうちに自分ならではの人生哲学を確り固めておきたいという意欲がある。それ故にファイル名は"my_philosophy"と名付けている。人によっては小難しい哲学なんてどうでもいい。それより毎日を元気で楽しく暮らせればよいといった向きも多いだろう。実はそう考えることが、その人の人生哲学なのである。
最も難解と言われている『正法眼蔵 現成公案の巻』の読解は、私にとって大きな挑戦である。エベレストの初登頂に挑んだマロリーは「なぜ、あなたはエベレストに登りたいのか?」と問われて「そこにエベレストがあるから(Because it's there. )」と答えたという。「そこに山があるから」と訳されて、それが定着している名文句である。道元は曹洞宗の開祖にして偉大なの思想家であり、道元禅の生みの親である。道元禅を知るということは、大げさに言えば「マロリーの山」に挑むのに等しい。そこには辿り着かねばならない「悟り」への道があるからだ。それで老骨に鞭打つて今は学んでいる最中なのである。ここ一番、最後の知恵を振り絞るといった塩梅だ。続けるには「魅る」感覚で臨むと、頭の体操になり、エンドルフィン(脳内活性ホルモン)が出る。これは登山家のクライマーズ ハイといわれる興奮状態に陥るのに似ている。「どうにもとまらない」とはずっと昔の歌の文句だが、そういう状況を作り出すことが「魅る」ことであると言えよう。
次に「ノート」に話題を移すと、これは文字通り雑記帳やメモ帳の中身をまとめたもので、一種のドキュメンタリーや小論文の類(たぐい)に入る。
実体験を基本に置いたものや、段々に人の関心が失われていくような文化遺産の考察を柱にしている。そういうことで、現在取り組んでいるテーマは「日本の古き良き遺産を後世に残す」である。
「暦と日本人の生活」(明日改訂版を掲載する予定)などが、それに当たる。残念ながら技量不足でいささか自信がないが、伝統を引き継いでいくという作業は学ぶところも多くいい勉強になっている。実体験を基にしたドキュメンタリーは、このホームページの立ち上げをした経験を掲載したところから始まる。生みの苦しみはどんなことにも共通で、一つや二つの苦労話はあるものだ。ノンフィクションを嫌味ないようサラッと表現するには「魅る」(この場合他人の目で見る感覚)態度が言葉の選択に欠かせないと思っている。