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 北斎に惹かれて



 正月のNHKーEテレで葛飾北斎の特集を放映していた。途中から何気なく見始めたのだが、つい引き込まれて最後まで視てしまった。
 番組の中の北斎は異星人のような感じをうけた。それほど人並み外れた存在であった。その逸話には事欠かなかったようだ。それも90歳という、当時としては信じられない長寿を全うし、死ぬまで描くことを止めなかった人ゆえの話であろう。
 晩年の作である富士を背景に黒雲と共に龍が天に昇るの姿を描いた掛け軸(写真)であるが、恰も自分の人生を象徴するような作品である。この時北斎90歳(嘉永二(一八四九)年四月十八日、北斎は九十歳でこの世を去った)その時残した言葉「天がもう五年、私を生かしてくれれば、私は真の絵描きになれ ただろう」と豪語している。北斎辞世の句は「 人魂(ひとだま)で 行く気散じや 夏野原」
 生涯に3万点を超える作品を発表し、葛飾派の祖となり、後には、フィンセント・ファン・ゴッホなどの印象派画壇の芸術家を始め、ドビュッシーなどの音楽家にも影響を与えている。
 2016年11月22日に開館した「すみだ北斎美術館」には世界有数の北斎コレクター故ピーター・モース氏の遺族が寄贈した600点を含め、 約1800点もの多数の北斎作品等のコレクションを収集している。
 なお、現在開館記念展「北斎の帰還-幻の絵巻と名品コレクション-」2016年11月22日(火) 〜 2017年1月15日(日)が開催されている。
 私が北斎に惹かれるのは、現在塗り絵を進めている「富嶽三十六景」が、北斎75歳の頃から描き始めたもので、これは私がホームページの創作に本格的に取り組み始めた時と軌を一にするという不思議な巡り合わせにある。
 業績を比べるのは野暮な話で、月とスッポンで比較の対象になりえない。敢えて言うなら「挑戦し続ける」というキーワードが同じだということだ。
北斎自画像 通常ならこの世には存在しない歳になってから、次々に傑作を発表し続け、それが成長し続けたという、信じられない実績を残している。一生に90回も引っ越しをし、画号なども行き当たりばったりで変えている。それほど自由で奔放な人が江戸時代に存在した事自体が謎である。その活力の源は、自画像に残る六尺豊かな体から発するエネルギーなのだろうか。その活動範囲は広く、遠く関西にまで及び、東海道五十三次の鳥瞰図(1818年作)など実に微細で、その根気の良さはとても真似のできる技ではない。そこまで詳しく描くということは単に想像ではなく、歩いた(旅した)という実績の裏付けがあったからこそ成し得たことだろう。
 今後何点その作品に接するか分からないが、まず、底をつくことはないだろう。これからも北斎になったつもりでその跡をなぞっていく行くつもりだ。
「己 六才より物の形状を写の癖ありて 半百の此より数々画図を顕すといえども 七十年前画く所は実に取るに足るものなし
七十三才にして稍(やや)禽獣虫魚の骨格草木の出生を悟し得たり
故に八十六才にしては益々進み 九十才にして猶(なお)其(その)奥意を極め 一百歳にして正に神妙ならんか 百有十歳にしては一点一格にして生るがごとくならん
願わくは長寿の君子 予言の妄ならざるを見たまふべし」

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