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 情報のはたらき


 私たちの生活には情報のやり取りが欠かせない。朝起きてから寝るまで、さらに寝ているときに見る夢の中にまで情報はあふれかえっている。
 情報と言っても、これはこのHPでも何回も取り上げてきたデジタル化もしくは電波媒体よる情報もその中に含まれる。一部過去に取り上げたテーマと重なるところがあるが、年寄りの繰り言と受け流してもらいたい。
 今回は日常の会話のようにフェースツーフェース(対面)のアナログ情報に目を向けてみた。この話題については今掲載中の「年寄りの暇つぶし」とも関係するが、こちらはもっとくだけた話題として見ていくことにする。
 孤独さが増すお年寄りにとっては、人と話をする機会は何にも増して大切な時間といっても間違いない。こういう場においては、堅苦しいことは抜きに、話題が新しいとか古い話の蒸し返しとかいう次元ではなく、ただおしゃべりすことに意義がある。当然、自分の近況、友達のこと、 噂話や聞きかじりなどの話題が中心となり、関心も集まるものだ。
 どんな情報にも中身はある。それは話す相手や場所、時によって変わる。情報とはそれほど幅広く、切り口も多様性があるということである。
 情報というと何か難しく聞こえるだろうが、要するに言葉のやり取りを通じて意思の疎通を図る内容のことである。これをコミュニケーションという表現をする。相互の意思が通じ合うことは生きていく上で欠かせない要素である。家族、友達、職場、近所付き合いなどあらゆる人同士の交流に欠かせない。言葉の取り違えや、相手に対する配慮が欠けると場合によって逆効果をもたらすこともままあるという難しさもあるのは事実だ。過ちはただせばよい。それで凹んでしまうより、前に進む勇気が必要だ。
 言葉は多ければ多いほど情報の量は増える。これは当たり前のことである。集いでも人が増えれば増えるほど情報量は増す。多すぎると誰に対して話をしているのか見当がつかなくなり、ハチの巣をつついたような騒ぎとなることもままある光景だ。
 お年寄りにとってこうした騒ぎの中に身を置くことは、森林浴に似て自分の脳の活性化につながる。個々に見れば、口数の多い人と少ない人が混在し、中には大きな声で場を仕切る人も出てくる。集団のおしゃべりとは、カラオケのマイク争奪戦に似て、出番のタイミングを図るのは難しい。野球の控え選手のように出番がない人も出てくるかもしれない。そういう人は欲求不満を抱えたまま帰ることになる。
 限られた時間で人数が多い場合は、グループ分けした方がお互いの顔を見ながら談笑できるので、後味が爽快で「いい集まりだった。また会おうね」ということになる。
 対話するというほど構えたものでないまでも、顔を合わせて他愛のないよもやま話に時間を過ごすのは、無駄なことではなく、明らかに精神をリフレッシュしてくれることだろう。


 


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