節分については日常細事で「2月の栞(しおり)2016.2.3」の項で記述したが、古くから伝わるしきたりであるので、節分だけに絞り込んで考察してみた。
節分は二十四節気のうちの、立春・立夏・立秋・立冬のそれぞれの前日をいう。つまり四季の変わり目を指していた。中でも旧暦の正月に近い立春の前日が最も重要だとされて、現在では節分とは立春の前日を指すことになった。
暦は古代以来明治5年(日本では明治5年に太陰太陽暦から太陽暦に切替わった)までは旧暦となる太陰太陽暦(太陰暦)が使われていた。それによれば月の満ち欠けによる朔望月と太陽の一回帰年をもとにした二十四節気とがあり、新年のはじまりとして太陽暦(グレゴリオ暦)による正月元旦と太陰暦による立春を元旦とする(旧正月)との二つがあった。
旧暦は「一年が約354日であり、太陽暦の一年に比べて約11日短く、3年過ぎると約1ヶ月のずれとなる。このずれを放っておくと暦が実際の季節と大きく食い違ってしまう。そこで、太陽の運行を参考にしつつ「閏月」(うるうづき)という「月」を足し、その年を13ヶ月にすることで暦と季節のずれを正す方法がはかられた(Wikipedia)」というルールがあり、立春が先にくる年もたまにあった。古今和歌集冒頭の歌では「ふるとしに春たちける日よめる 在原元方:年のうちに春は来にけり。ひととせを、去年(こぞ)とやいはむ、今年とやいはむ」と詠まれている。
節分は正月と同じようなもので、年中行事もよく似たものが多く見られる。その特徴は「旧年に蓄積した災厄や塵芥などの禊祓(みそぎはらえ)や掃き清めであり、それに清新な生命力を得る年取りと、その新しい年を良い年としたいと願う祈願と招福である(年中行事大辞典:吉川弘文館)」
節分といえば豆まきであるが、これも「新年を迎える節分が年取りの意味を持つことは、その豆まきの豆を年の数よりひとつ多く食べる習慣の中に伝えられている(同辞典)」とある。
こうしてみると、節分は江戸時代までは新年を迎える行事であったことが分かる。ちなみに中国などは今でも春節といって旧暦で正月を祝う国もある。毎年日本の節分2月3日に当たるとは限らず、変則で今年は1月28日である。