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 梅雨時知人に誘われて、土砂降りの雨の中原鉄道模型博物館の巨大ジオラマを見物してきた。場所は横浜駅東口から高島町方向に向かって5分ぐらいの横浜三井ビルディング2Fにある。
 入館すると直ぐに鉄道模型がズラリと並んだ展示ホールに入る。この博物館は、コクヨ元専務で世界的に著名な鉄道模型製作・収集家の原 信太郎(はら の ぶたろう、1919年4月4日 - 2014年7月5日)の世界一ともいわれる量の鉄道模型 コレクション(6,000両)の一部にあたる約2,500両を収蔵し、このうち約1,000両と鉄道関連資料を 展示する、延床面積約1,700平方メートルの博物館である。館内には1番ゲージの室内ジオラマとしては世界最大級の面積となる約310平方メートルの「いちばんテツモパークジオラマ」が設置され、この上をコレクションの鉄道模型が走行している。2012年(平成24年)7月10日に開館。
 この御仁世界一の鉄道コレクターと言われるだけあって、我々凡人とはけた違いの人生を謳歌しきった殿上人である。その生涯をネットから探し出し、紹介する。
 東京の芝に生まれた信太郎は、3歳になると早くも鉄道熱が芽生え、三田の市電車庫を出入りする電車を食い入るように見つめていたという。そして4歳になって、輸入品の鉄道おもちゃを祖母に買ってもらう。実家は富裕な商家で、信太郎少年はその後も高価な鉄道模型をせがんでは買ってもらうようになる。小学校の高学年になるともう、いっぱしの「乗り鉄」兼「撮り鉄」で、カメラを携えて特急「燕」に乗り、関西を一人旅している。
 戦後1949年に結婚。文具メーカーのコクヨ入社を機に、本社のある大阪へ移転し、会社員としての多忙な日々が始まる。とはいえ、鉄道熱は収まることはなく、出張の機会を生かしては「一番切符」の入手に奔走し、欧米へ出かけたときには現地の鉄道ファンや模型技術者との交流を重ねる。実車の技術を再現した鉄道模型も増えるいっぽうで、その名声は世界にとどろき、ドイツ国鉄103形を、許可を得て運転するなどの栄に浴した。
 72歳にコクヨ退社後も、鉄道への情熱は衰えを見せず、国際鉄道模型コンベンションにたびたび出品。大手デパートの催事としてコレクションが展示されるようになり、93歳のときに集大成として原鉄道模型博物館が開館。その2年後に、列車のように駆け抜けた人生を終えた。まさに空前絶後の鉄道マニア人生であった。
「その生活も破天荒で、朝寝坊や夜更かしあたりまえ。健康食とされる魚・野菜・豚肉・鶏肉が嫌いで、霜降り牛肉・トロ・ウニ・かに・アワビ・甘いものが大好きでときて、栄養バランス考えずに好きなだけ食べる。好きな飲み物であるコーラは毎日2リットル以上。頑張るスポーツは大嫌い。それでも、いたって健康なのは、どうやら、酒とタバコを全然やらなかったのが良かったと信じてるらしい」とある。
 1番ゲージの室内ジオラマはマニアにとっては飽きることない時間を共有できる場所である。初めて訪れた私でもいささか度肝を抜かれるスケールである。一見の価値はある。2018.6.17




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