「市」から発展して形成された市場経済はマンモス化してつかみどころがない。そこを何とかこじ開けて、その仕組みを分かりやすく説明したい。言って見れば、このノートは「やさしい経済学」だと思って読んでいただきたい。
コラム「市」の中にも出ている「世田谷のぼろ市」を例に引いて説明すると、古物商の持ち寄ったグッズは客と売り人との駆け引きを通じて、適正な価格に落ち着いて客の手に渡る。こうして商売は成立する。こうした経済行為が拡大していくと、社会の基盤としての経済体制が成り立つことになる。
これに対して国が介入して統制する、昔戦中に経験した配給制度などを計画経済と呼ぶ。自由な商売が回復し、需要と供給との間で程よいバランスがとれる経済体制が、市場経済という自律的需給関係を持つ経済体制と言っていいだろう。
国が介入すると、個人が持つニーズを正確に把握できず、あらゆるモノの供給に関する情報が管理しきれずいびつな経済体制になってしまう。闇市場が拡大することにもなる。
自由経済体制の下では価格がある種のシグナルになって、多くの場合需要と供給のバランスはうまく調整される。
市場経済たるゆえんは、ニーズの主役は、政府の役人ではなく、個人にあり、すべて自己責任で取引するというのが基本だとされている。市場経済の場合、商売の成立は一企業または一個人・消費者にある。個人のニーズが集約されてモノとカネの流れが消費行動という形で成立する。その中で最も重要な役割を果たしているのがモノの値段ということになる。
これは孫引きになるが「経済学者アダム・スミスが『国富論』で唱えたように、見えざる手によって個人の利潤の最大化が後押しされる。人々が自由に競争し経済活動を営むことが国の富を最大化するといった「夜警国家論」を唱え、国家は「安価な政府」に徹し、軍事、司法、警察、公共事業などの限定された事業のみを行うべきと主張した」という古典的だが市場経済をよくとらえた説がある。
これは国の介入がなければなりえない国際的経済市場の成立であるが、成功の行方は不明であるが、TPPのような協定で「自由主義の立場からの理想的な市場は自由放任主義による完全競争の市場の成立である」現代の大半の国や地域ではこれらの問題を緩和または調整するために限定的だが政府の介入(お膳立て)が行われている。
市場経済を特徴づけるものとしては、次のものをあげることができる。(Wikipediaから要約)
・私有財産制
人は個人で自由に運用管理できる財産を持つことができる。
・分権化された経済主体
個人・私企業などの経済活動は自己責任で行い、政府の指示を極力抑える。
・価格システム
モノとそれに付随する輸送などのサービスの価格および取引量は、市場機能と呼ばれる需給のバランスによって決定される。
このように市場経済は、「競争を促進する機構が働くため労働者の勤労意欲が増し、生産力の増強・投資を誘発して経済成長が起きやすくなる」というのが最大の特徴と言えよう。
どんな経済システムにも欠陥は有り、いつ再びリーマンショックのような経済恐慌が襲来してくるかは予測できない。
これに関し、経済学者のミルトン・フリードマンは「市場経済は本来的に不安定であり、放任しておくと好況と不況を循環的に繰り返すため、政府が介入し景気を安定させなければならない。世界恐慌も政府の経済運営の失敗が原因で発生した。ただし、経済の安定的な成長のために必要なのは、政府の介入を減らすことであり、増やすことではない」と指摘している。
もう一人、経済学者の澤田康幸は「市場経済とは取引で成り立っている世の中のことであるが、取引はインチキやごまかし等と常に隣り合わせである。それらは、先進国の政府でも取り締まりきれず、ましてや途上国政府にとっては手に余る問題である。それにも関わらず、市場経済は途上国でもそれなりに成り立っている。途上国では民間の努力や工夫、制度の支えによって、政府が頼りなくても市場経済が何とか成り立っている」「ヒト・モノ・カネの取引において市場はなかなか機能しないものであるが、途上国の農民、商人、企業家は家族の絆、血縁、地縁、仲間意識、民族の紐帯、共同体ルールといった暗黙の契約を活用して円滑な取引の成立に貢献し、市場の失敗を克服してきた」と指摘している。