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 日本昔話二十八話山賊の弟



 昔越後国の或農家に、兄弟の子供がおりましたが、兄は小さい時から性質がよくないので、 親も見限って勘当したところ、何処かへ往ってしまいました。そのうちに父は病んで死に、 弟の方は母に孝行なよい息子でありましたけれども、家がどうしても立ち行かなくなって、僅 かの田地は売ってしまい、母は親類に預かってもらって、十六七歳の頃に江戸へ出て来て、 ある医者の家に奉公に入りました。
 至って実直で給金は一文もむだに使わず、十年ほどの間に、色々の貰い物や何かを合せて、もう十四五両の貯蓄が出来ました。そこで主人に向って事情をくわしく話し「どうか母親のまだ丈夫でおりますうち、この金を持って生れ故郷に帰り、なくした田地をこの金で請け返して、家が持ちとうございます」というと、それはよい心掛けと主人も感心して、別に路用の金を餞別にやりました。
 それから江戸を立って遥々と越後の国へ帰って来ようとしましたが、途中上州の山路で山賊に出逢って、財布の金は勿論のこと、衣類身のまわりも残らず剥ぎ取られて、まる裸になってしまいました。折角十年余りも真黒になって働いて貯えていたものを、一日に取られてしまうことはなんたる情ないことかと思いましたが、兎に角これでは国へ帰ってもなんにもならぬ。「此上は行き所もないから手下にでも家来にでもしてお前さんの所に置いておくんなさい」と山賊に向って頼んで見ますと、流石に不憫と思ったものか、山賊は今奪い取った品物を荷造りしてこの男に背負わせ、襦袢一枚だけを着せて、自分たちの隠れ家へつれて行きました。
 二三日も山賊の所で厄介になっているうちに、色々と考えて見ましたが、盗人はとても自分の商売にもなりそうもない。まだ若いのだからもう一度江戸へ出て働いた方がよいと思って、その事を話して見ると山賊も同意しました。
 「ついては着物は襦袢一つでもよいが、脇差しは道中の犬おどしに、是非返して下さい。あれは私か小遣いで、わざわざ柳原で求めてきた刀だから」と言いますと、「なるほど尤もの事ではあるが、一且奪った物を返すということは、山賊の作法にはないことだ。腰の物ならばこの通りたくさんある。一本やるからこの中からどれなりと持って行け」と奥から縄からげにした脇差しを一抱えも持ってきて見せました。
 「それでは頂戴します」と言って、可なり錆びたのを一本貰って、山賊の宿を出てきました。江戸では元の主人より他に、頼るべき家とてはありません。それで又戻って今度の災難の始め終りを述べて、もう一度その医者の家で奉公することになりました。
 ところがこの主人は兼て刀剣が好きな人で、よく目利きなどを楽しみにしていましたが、山賊に刀を貰ったという話を聴いて面白がり、一度見たいというので持ってきて見せますと「これは見所のある脇差しだ」と言って、その道の心得ある人たちに見て貰いましたところが、果してあっぱれな名作であって、早速三十両に買い取ってくれた人がおりました。
 「これはなんともはや意外の仕合せでありますが、この金が出来ました以上は、やはり一日も早く帰りとうございます」と再び主人の許しを得て、又故郷の空に旅立ちました。上州から山を越えて行く路は、一度ひどい目に逢っているので、止めて他の方を廻って行こうかとも思いましたが、色々考えた末に又この路を帰り、おまけにわざわざその山賊の家へ訪ねて行きました。
 「親方その後はお変りもありませんか。私は先日御厄介になった旅の者でござります。江戸であの脇差しが三十両に売れました。私の取られた金は十五両、これを皆貰っては私の方が義理が悪くなりますから、半分だけ返しにきました」と言うと、山賊どもは驚いて、暫くは無言で顔を見合せておりました。その内に親方の山賊はこの男をじっと見て、「お前は越後の人だというが、越後は一体何村だ」と尋ねますから、くわしく在所や親の名などを申しますと、賊は大きな溜め息をつきました。
 「どうも虫が知らせるというのか、若しやそうではないかという気がしてならなんだ。悪いことは出来ぬものだ。おれは十何年前に勘当せられたお前の兄だ。お前は小さかったから顔を覚えておるまいが、おれはとうとう斯んな商売になっている。同じ血を分けた兄弟でも、こうも心持がちがうものか」と別れた親のことを思い出して二人で泣きました。そこで仲間の者一同を呼んで、「永らく一緒に暮したが、おれはもう止めて帰らねばならぬ。ここにある貯えの中から、ただ少しばかり路銀に持って行く。後はみんなでどうなりとしてくれ」と言って、兄は弟と連れ立って生れた村に帰って来ました。
 そうして親の売った田畠を買い戻して、自分は一旦勘当を受けた者だから、弟に家の跡目を継ぐようにと言いましたが、弟はなんと言っても承知しません。そうして兄弟で譲り合っているうちに、なんと思ったか兄は髪を切って、出家になって又行く方が知れなくなったそうです。昔の越後伝吉を始めとして、以前はこういう篤実な若い者が、村に多かったことは実際でありましょうが、ただその話が此様にくわしく、江戸の方まで伝わっていたことだけは、少しばかり不思議であります。(2018.1.7)





 









 


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