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 日本昔話(第三十四話)  二十騎が原

 
 むかし甲州の西山に、家富み栄えた一人の長者がおりました。沢山の田や畠を家来に作らせ、又広い林や野を持っていて、狩りなどをして日を送っていました。長者夫婦には十人の男の子がおりました。それが皆大きくなって、いずれも立派な逞しい若者になりました。ある日その十人の兄弟は、野原に出て弓を射て仲よく遊びました。長者夫婦もつれ立って出て来ました。高い桟敷(さじき)をかけさせてその上に座って見物をしていました。若い人たちは華やかな晴れ衣を着て、鹿毛や黒や月毛や、色々の馬に乗って出て来ました。そうして自由自在に野原を馳(は)せまわって、おのおの精一ぱい弓の技を、親たちに見せました。
 長者はこの有様を見て大へん喜んで、傍に添うている自分の妻に話しかけました。「十人の子宝は決して少ないと言われない。しかし若しこの上に尚十人の男の子がおって、それが共々にこうして同じ野で、弓を射て遊ぶのであったら、どんなに心丈夫で、また楽しいことであろう」と申しました。そうすると長者の女房はこれを聴いて、「それならば本当の事を打ちあけましよう。本当はこの子どもの生れる時に、どれもこれも双子で生れたのであります。余り多いと思って遠慮をして、実は今まで別の所で育てて置いたのです。直ぐに喚びにやりますから会って下さい」と言って、大急ぎで使いを走らせました。暫く待っていると、この野の向うの端から、若い武士がまた十人、これも皆良い馬に乗り、花のように色々に染めた狩衣(かりぎぬ)を着て、箭(や)を負い弓を手に持って現れて来ました。そうして長者の前に来て礼拝をしました。どれもこれも男らしく、りりしい若者ばかりでありました。それが前の十人の兄弟と入り交って、この広い野原を縦横に馬を走らせ箭を射て、日の暮れるまで面白く遊んだそうであります。
 その長者の家は、長い問にもうなくなってしまいました。そうしてその家の跡が山になり野になりました。しかし長者の二十人の子どもが、毎度連れ立って出て遊んだという野原は
二十騎が原といって、久しい後まで名が残っていました。それから少し離れた小山の麗には、また赤子沢という所もありました。長者の妻が家を建てて、その十人の双子の片方を育てていた谷だから、それで赤子沢というのだと話す人もおりました。(2018.3.12)

 








 


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