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 日本昔話(第三十五話)  湖山の池


 昔々、因幡国の湖山長者は、一千町歩の田を持った大きな地主でありました。毎年五月の田植えの日は何千人という田人早乙女(さおとめ)を使って、一日のうちにその千町の田を植えてしまうのが長者の家の昔からの習わしになっておりました。ところがある年の田植えの日に珍らしいことが起って、どうしても晩方までに千町歩を植えてしまうことがむつかしくなりました。その珍らしいことというのは、ざっとまずこんな話であります。
 その日も毎年の通り朝早くから、若い田植えの女たちが田に下りていつもの佳い声で田植え歌をうたい、面白く田を植えておりますと、どこの山から出てきたものか一匹の大きな牝猿が子猿を背に逆さまに負うて、その広い水田の畔(くろ)を通って行きました。何百人の苗持ち男何千人の早少女たちは一時にふりかえって、この不思議な猿の親子の姿を見ました。ほんの僅かなばかりの間、立って見ていたのでありますが、何にせよ、これだけ大勢の働く人が残らず手を休め腰を伸ばしたものですから、仕事がそのために大変におくれてしまいました。太陽がもう西の山の嶺に近くなっても、まだ広々とした水田の面が、白く光って残っています。明るいうちに植え尽すことが何としても山来ないということになりました。
 湖山長者は高い所から、この様子を見ていまして、「おれの家ではいつの田植えにも、昔からこの田を一日に植え切らなかったことは一度もない。今年ばかり千町歩田植えに二日かかったとあっては長者の名折れだ。もしも思うことが何事でも心のままになるのが長者であるならば、今日はこの日の暮れていくのを、是非とも止めねばならぬ」と言って、黄金を張った扇を一ばいに開いて夕日に向って戻れ戻れと、三べんまで招き返しました。そうすると果たして、長者の思い通り千町歩の田植えはその光の下で、この日も滞りなくすませましたそうです。
 しかしこの様な事をして自ら長者の威勢を試みるのは、もったいないことでありましたから、たちまちにその天罰を受けました。長者の幸運はこの時を絶頂として、それから次第に降り坂に向かいました。今では子孫が悉く死に絶えて、何処に長者の家かあったかも、もはや尋ねてみることができなくなりました。あるいは大地震があって潰れたともいいますが、その千町歩の長者の田は、いつの間にか大きな湖水になっております。 汽車の窓からよく見える、湖山の池という広い美しい湖水は、むかし湖山の長者が入り日を招き返した田の跡だと言い伝えられているのであります。(因幡気高郡)2018.3.23

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