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 日本昔話(第三十六話)  米嚢粟嚢(こめぶくろあわぶくろ)



 むかしむかしある所に、姉と妹と二人の娘がおりました。姉の名は米嚢で亡くなった母の子、妹の名は粟嚢で今の母の子でありました。継母はいつも姉の米袋を憎んでいじめでいました。ある日村の娘たちと一緒に、二人は山に粟を拾いに行くのに、姉には底の腐った古叺(かます<注>袋の一種。「かます」は藁蓆(わらむしろ)を二つ折りにし、相対する2縁を縄で縫い閉じて、輪を底部とし、袋状とする。肥料、石炭、塩、穀物などを入れる。「叺」は国字wikipedia)を持たせ、妹の粟襄には新らしいこだす(<注>採集用の入れ物で、腰に結わえつけて使用する)を持たせてやりました。もう夕方になって、どの娘も粟を一ぱい拾ったから「さあ帰ろう」と言いましたが、米袋の叺だけは底が抜けているので、いつまでも一ぱいになりません、それで友だちが皆帰ってしまって一人だけ山の中に残されました。
 腹がすいてしかたがないので、谷に下りて水を飲んでいますと、白い美しい一羽の小鳥か飛んできました。「可愛い娘、私はもとはおまえの母親であった。おまえはおとなしくて今のお母さんによく仕えているそのご褒美にはこの小袖をあげる。常には土の中に隠しておいて、事のある時には出して晴れ着に着るがよい」と言ってそれに葵(あおい)の笛と新しいこだすとを添えて、米袋に与えました。新しいこだすを貰ったので、粟の実がすぐに一ぱいになりました。それを背負って晩に家へ戻って来ました。
 それから又四五日して、隣の村におまつりがありました。継母は粟嚢に好い着物を着せて、そのお祭りを見に出かけて行きます。姉の米袋も「行ってみたい」と言うと、「お前は麻糸を三結びに績(う)んで(<注>青麻(あおそ)を湿しながら指先で細く裂き,よってつなぐ作業)それが済んだなら来てもよい」と言いました。 それで一しよう懸命に苧(<注>麻の古名)を績んでいますと、友だちが大勢で誘いに来ました。「わたしはこの為事(仕事)を母に言いつけられたから行かれぬ」というと、友だちが哀れに思って手伝ってくれましたので、思いの外に早く為事が片付きました。それから白い小鳥に貰った小袖を出してきて、きれいになって皆と出かけました。途々(みちみち)あるきながら葵の笛を吹いて見ると、
  この笛を聴く者は
  天飛ぶ鳥は羽をよどめて聴け
  地を匍う虫は足をよどめて聴け
と、いう声に響いたそうであります。
 隣り村のお宮に詣って見ますと、妹の粟襄は母と一緒に人形の舞いを見ていました。姉の米袋は饅頭の皮をそっと妹に投げ付けて見ると、頬に当りました。「あれ姉さんがあそこから、私に饅頭の皮を投げたと」いうと、「いやいや米袋には用が言いつけてある。なんで今頃来るものか」と言って、母親は本当にしません。それから又少し経って、妹があちらを向いている時に、今度は飴の包みの竹の皮を投げて見ました。それも妹がそう言っても母親は信じません。「それは誰か似た人ででもあるだろう。人に物を投げられたら脇を向いていろ」と言いました。そのうちに母と妹がもう帰りそうにするので、米袋は急いで先に戻ってきて、着物を着替えて知らぬ顔をして待っていました。
 その次の日には隣村の人から「米袋を嫁に欲しい」と言って来ました。継母は妹の方を貰ってくれと言いますので、「それならば二人の器量(きりょう)比ぺをして、美しい方にきめよう」ということになりました。二人がお化粧をするのに「髪には何をつけようか」と妹がきくと「棚から油を持って来て塗って見ろ」と教え、姉が問うと「水屋の流し元の水でも附けろ」といいました。粟嚢の髪は癖毛だから、櫛に引掛ってぴんぱらぴんぱらと鳴りましたが、それを母親は「琴か三味線かの音のようだ」と言ってほめ、米袋の髪の毛がすなおで沢山あって、櫛が通ってじよらじよらとするのを、まるでくそ蛇が穴に入って行くような音だ」とけなしました。それでも髪を結ってしまいますと、誰が見ても姉の方が遥かに美しいので、とうとう嫁に貫われて行ってしまいました。
 妹の粟嚢は、それを見て羨しくてたまりません。「私も早くあのような立派な駕籠に乗って嫁入りがして見たい」と言って母親をせがみました。母親は仕方がないので荷車に妹を載せて「嫁はいらぬか嫁はいらぬか」と、大声に触れてあるくうちに、その車が転げて娘は田に落ちて田螺(たにし)になり、悪い継母は堰(せき)に落ちて、堰貝になってしまったそうであります。(津軽七っ石)2018.4.3

 

 

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