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 日本昔話(第四十話) 聴耳頭巾


 これも昔奥州の方のある所に、またひとりの貧乏な人の善い爺がおりました。氏神の稲荷様にいつも生魚でも上げたいと思ったけれども、それも貧乏で思うようにはならぬので、或日お社に参ってこう言いました。「氏神様申し、氏神様申し。おれはとても貧乏で生魚も上げることができませんから、どうぞこの俺を食ってください。どうぞお願いでござります」と言って拝みました。氏神様は「爺や爺や、何もそんなに心配をすることはいらぬ。俺もお前の難儀していることはよく知っている。それでは一つ運を授けてやんべ。それこの宝頭巾をやるから被って見ろ。これを被ると鳥でも獣でも、なんでも言うことが直ぐ解るから」と言って、古めかしい赤頭巾を一つ、その爺に授けました。「そうでがんすか。これは早どうも有り難うがんす」と、喜んで早速そのきたない赤頭巾を懐に入れて出てきました。そうしてゆらりゆらりと街道を歩いて行きますと、路傍に大きな樹がありました。その樹の下に休んでいましたら、いつの間にかついとろとろと睡っていました。
 そうすると浜の方から、一羽の烏が飛んで来て、疲れてその木の枝に休みました。すると又国中(くになか)の方からも、一羽の烏が飛んで来て、同じ樹の上にとまりました。爺はこれを見て、稲荷様に貫った聴き耳頭巾を、試して見るなら今だと思って、そっと出して被りますと、俄に頭の上で話の声がし始めました。浜から来た烏が、「やあ暫くであった。おれは今まで浜の方にいたが、浜もこの頃漁がなくって、不景気で困るから飛んで来た。お前は又どっちから来た」というと、「おれはあらみの方からやってきたが、いや不景気は何処に行っても同じだ。時に何か世の中に不思議なことはないかね」と聞きますと、浜の烏は、「別に珍らしいことでもないが、浜のある村の長者どんでは、土蔵を建ててからもう五~六年にもなるが、土蔵の入り口の屋根を葺く時に、どうして這い上ったものか一匹の蛇が上っていて、ちょうど板の下で釘を打ち付けられて、今に動けないで半死半生になっている。感心なことには雌蛇が食い物を運んで養い続けているが、ほんとうにお互いに苦労をしている。その思いが積り積うで、長者助けてやらぬと、蛇も死ぬし娘も死んでしまう。おれも再々あの屋根に飛んで行って鳴いてやったけれども、人間という者はなさけない者で、少しもそれをさとらない」と言いました。相手烏も「ほんとうに人間はそういう事になると、まるで何もわからぬものだと言い合って、そんだらば又この次に出逢うべな」と、西と東とに烏たちは別れて飛んで行ったそうです。
 爺は「これはよい事を聴いた。早くその長者どんに行って娘を助け、又蛇の命も助けてやりたいが、なんにも支度がなくてこれでは出かけられない」と、町裏をうろうろとあるいていますうちに、こわれた木鉢が落ちていたから、それを拾って紙を貼って頭にかぶり、浜の長者どんの門前に行って、「八卦々々」と大きな声で呼ばわって通りました。長者の家では娘の長患いを治すのに何がよかろうと心配していた時だから、「おいおい門前をふれて通る八卦屋、早く内さ上って八卦置いてくれ」と言いました。爺様は内に入って「何八卦を置きますべと言う」と、「実はこの家の娘が永の病気で、今日か明日かという容態だから、なんとすれば良くなるか、その八卦を置いて見てくれ」と言いました。「それでは病んでござる娘御の所に通してくれ」と言って、娘の枕もとに行って坐って、「二十里這うたる葛の葉は這えば二十里」という唱えごとを何度もくり返してから、前に烏からちょうど聴いておいた話を、詳しくして聴かせました。そうすると長者どんでは。いかにも八卦様の言う通り、五~六年前に土蔵を建てたことがある。それではそんな事もあったかと、近所の大工を呼んで来て、早速土蔵の屋根板を離させて見ますと、果して一匹の蛇が体が白くなって、もう半分腐りかけて釘に打ち付けられていた。ああこれのことだと大事に笊に入れて屋根から下し、流し前に置いて物をやって、暫く介抱して丈夫にしてから放してやりました。そうすると薄紙をはぐように、娘の病気も一日々々とよくなって、日数の経つうちにすうかり冶ってしまいました。長者どんでは大喜びでお礼金は三百両、爺はたちまち大金持ちになりました。そうして家に帰って、急いで氏神様のお宮を建て直し、今までないような立派なお祭りをしました。もちろん生魚も度々買って来て供えました。
 それから聴耳爺は、今度は好い着物を着て又旅に出ました。そうしていつかの大木の下で休んでいると、また西東から烏が飛んで来て、その木の枝に休んで世間話を始めました。一羽の烏が「一つ町にばかりいてはつまらぬ」と言うと、もう一羽の烏が「ほんにそうだが、おれの今までいた町にはこういう事がある。町の長者どんでは旦那が大病で、今日か明日かという命だが、それは五~六年前に離れ座敷を建てたとき、昔からあった庭の楠の木を伐り倒して、その切り株がちょうど離れの軒下になって、雨垂れに打たれている。それでも根が死に切らないものだから、生のある限りは芽が出て、育ちたいと精魂を尽すのだが、芽が出れば刈り芽が出れば刈り取られて死ぬには死なれず、そんならばと言って生きるには生きられず、その思いが旦那にかかって病気になっている。それに又山々の友だちの木が、毎夜のように見舞いに来るがこれもまた大変なことだ。あれは生かさば生かすべし、又どうせ枯らす気なら、根からよく掘ってしまえばよいに、困ったものだ」と話しました。爺は烏の話を聴いて早速その町に出かけました。「八卦々々、頼むから内の旦那の病が、どうすれば直るものか見てくれ」と云うので、長者どんの家へ呼び込まれました。「ここには五~六年前に建てた離れ座敷がある筈だから今晩はおれをその座敷に泊めてくれ」「あや八卦殿はどうしてその離れのあることを知っているか」と家の者がびっくりします。「それも八卦で当てたが、先ず今夜は俺をそこに置いてくれろ。明日は旦那の病気の元を、洗いざらい当てて見せるから、俺が言うまでは誰も入って来るな」と言って、その晩は一人で起きて様子を見ていました。
 そうすると真夜中頃になると、がさりがさりと近よって来る者の足音がして、「楠の木よ、あんばいはどうだ」と言います。それに返事をするのはなんだか土の底からでも出るような幽かな声で、「ああそう言ってくれるのは六角牛山(ろっこうしやま)の梛(なぎ)の木か、遠い所を毎度難儀をかけて済まない。おれは此通り一刻も早く死にたいのだが、それさえ思うように行かないので苦しんでいる」と言うと「なにそんなに力を落すものでない」と、慰めて帰って行きます。又一時経つと、今度はしゅっしゅっという音がして来る者がある。「楠の木どん、あんばいはどうかな」と声をかけますと、又楠の木が以前のような声で、「そういうお前は早地峰山(はやちねやま)の這い松だか。おれはとても助からぬが、こうお前たちに毎夜見舞いに来て貰っては申しわけがない」と言います。「ああそうだか。なんでもないことだから心配するな。今夜はつい五葉山の方へ遊びに行く通り筋だから、こうやってお前にも逢えたが、これが東と北とでは逢うこともむっかしい。そんなら春にもなって見たら又本復するだろうから、力を落さずに時節を待つがよい」と言って、這い松もまたさっきのように音をさせて帰って行きました。爺は聴耳頭巾を被っていて、すっかりこの話を聴いてしまって、朝になると病人の枕元に案内して貫って、いつもの通りの葛の葉は二十里の呪文を唱えてから、昨晩の樹木の問答を詳しくして聴かせました。「これは軒下の楠の木だけの難儀ではない。諸処方々の高山の木までが、このためにえらい苦労をしているのだから、早くその根株を掘ってしまえ」と教えました。そうして根を掘って庭の木の神様に祭ったら、旦那殿の病気も、また薄紙を剥ぐように日ましによくなった。長者の家の者は皆大喜びで、そのお礼が又三百両。それを貰って家に帰って来てからは、爺はもう慾を出さないで八卦を止め、自分も普通の長者になって暮したそうであります。(陸中上閉伊郡)2018.5.27

 

 

 


 

 

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