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 日本昔話(第四十一話) 長崎の魚石


 昔支那の人をまだ唐人と言っていました頃に、長崎の伊勢屋という家で。懇意にしている唐人が一人おりました。その唐人がもう国へ還るという前に、この家ヘー度遊ぴにきまして、土蔵の石垣に積んであった小さな一つの青石を、立ったり腰かけたりしていつ迄も眺めておりましたが「あの石を是非私に譲って下さい」と、熱心に主人に所望しました。「私の方では不用のものだから譲ることはなんでもないが、この石一つ抜けば石垣か崩れるかも知れず、後の造作が甚だ面倒だから、この次渡って来られる時までに、普請のついでがあろうから、必すのけておいて進上いたしましよう」と答えますと、「石垣を積みなおすのに金がかかるならば、この石の代として百両の金を出します。私は今度又来るかとうかも知れないから、是非とも今買い受けて帰りたい」と唐人が言いました。
 伊勢屋の主人久左衛門は百両の声を聞いて、始めてこの石の貴いものだということに心づき、少しばかり欲心を起して、かえって即座に手放すことを借み、なんだのかだのと断りの口上を設けて、しまいには三百両まで出そうと唐人か言うのに、どうしても売ることを承知しませんでした。
 それからいよいよ唐人の船が出てしまってから、わざわざその青石を掘り出して見ました。そうして玉磨きの職人を呼んで鑑定をさせましたが、「いかさま普通の石ではないようだ」というばかりで、少しずっ磨かせてみても光も出ず、別にこれぞと変ったこともありません。
 あまり不思議なので、たがね(彫金をするためのもっとも代表的な道具)を入れさせてみたところが、ちょうど真中から二つに割れて中から水が出て来てその水と共に、金魚のような赤い小鮒が飛び出して直ぐに死んでしまいました。「これはまことに惜しいことをした。三百両の金を収り損なった」と言っておりますと、次の年にはその同じ唐人が、今度は千両の金を持って青石を買いに又やって来ました。
 伊勢屋は残念でたまりませんから、くわしく様子を話しますと、唐人も涙を流して悲しみました。「あの石は私たちも名を聞いているだけで、他ではまだ一度も出くわしたこともない魚石というこの世の宝であった。あれを気長に周りから磨り上げて、水から一分というところまでで留めると、水の光が中から透きとおっで、二つの金魚のその間に遊びまわる姿は、又とこの世にもない美しさであって、それを朝夕に見ていると自然に心を養い、命を延べる徳があると伝えられ、王侯貴人は如何なる価を払っても手に入れたいと望んでいる品であった。私はそれを本国に持ち帰って買い主を見つけ、妻子眷属(親類一同)と共に一生を安らかに送ろうと思っていたのに、今やその願い事も空しくなった。こういう天卜の奇玉の世に隠れ、又永く伝わらないのも天命であったかも知れない。私は最初からこの話をしておけばよかったのに、黙って買い取ろうとしたのが悪かった。今度こそは千両がその三倍になっても、是非とも買う積りでこの通り用意をしてきました」と言って、三干両の金包みを出して見せました。そうしてすごすごと支那へ媚ってしまったそうであります。
 遠い国の商人は思うことを顔に出さず、又どんな場合にでも値段の掛け引きをする癖があり、日本の商人は物を知らずにただ欲ばかり深かったために、昔は折り折りこんな飛んでもない損をしたのだそうであります。
2018.6.10

 

 

 

 


 

 

 


 

 

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