昔ある所に盲人の琵琶法師がおりました。琵琶箱を背なかに負うて一人で旅行をしているうちに、路に踏み迷うて山の中で日が暮れてしまいました。仕方がないから大きな樹の蔭に琵琶箱をおろして、そこに一晩野宿をしようと思って、その大木に向っでこう言いました。
「もうし山の神様、私は路に迷うて夜になりましたから、今晩だけここに泊めていただきます。ついてはお聞き苦しくもござりましようか、旅の座頭の作法として、琵琶の一曲をお聴きに入れます」と言って、琵琶を収り出して平家物語の一節を語りました。
そうすると高い所から声が聞えて、「さてもさても面白い。どうぞ今一曲語って聴かせでくれ」と言う人がおります。不思議には思いながらも、又望みに任せて同じ平家の他の一節を語りました。「これは大きに有難かった。定めて疲れたであろう」という声がしました。しばらくすると誰だか知らぬ足音かあって、お膳に色々の食べ物を載せたのを持って出て、この盲人に勧めました。これにも重ねて驚きましたけれども、もともと無邪気な座頭であった上に、腹もへっていたので十分に御馳走になり、樹に向って厚く礼を述べて、その晩は寝てしまいました。
翌朝になると、一人の猟人がやって来ました。「あなたを人里のある所まで、御案内申せと言いつけられて来ました。この靭にしっかりとつかまって、私の後についておいでなさい」と言つて、太い毛皮の筒のようなものを、盲人の手に持たせました。琵琶法師は大喜びで身ごしらえをして、その靭のさきを一しょう懸命に掴んで、段々と山を降りて来ますと、やがて谷川の水の音も高くなり、遠い所の犬鶏の声などか聞えて来て、村に近くなったことが知れました。
そのうちに里の予供等が、人勢山に入って来る話声が聞えたかと思うと、その中の一人が不意に大きな声を出して、「あれあれあそこを見ろ、あんな座頭の坊が狼の尻尾をつかまえて山から降りて来るわ」とどなりました。この言粟を聴くや否や、今まで路案内をしていた猟人は、慌てて靭を引き放して、元の路へ走って帰りました。後で聞くとこの猟人かと思っていたのか、実は狼であったのであります。
それから琵琶法師は草刈り男を頼んで、先ずその村の村長の家へ、連れて行って貰いました。そうして昨日からの話を詳しくいたしますと、村長は手を打って、「なるほどそれで始めてよくわかりました。昨晩は突然と私の家の小さな子供が、妙なことを言い出したのであります。『俺はこの山の山の神だ。今夜は珍しい客人がいるのだから、何か御馳走をこしらえて山へ持って来て、大木の下に休息している人にさし上げろ。もし遅くなるとこの子供の命を取ってしまうぞ』と言っであばれるので、家中で心配をして兎も角も急いでお膳をこしらえて、山へ持たせて出したのであります。それでは山の神様の客人というのはあなたでしたか。よっぽど琵琶がお上手だと見えますね」と言って、大層この盲人法師を尊敬したということであります。2018.9.16