むかし豊後の日田に大蔵永季、通称を鬼太夫という力士がおりました。大力の評判が段々に高くなって、後に京都の相撲の節に召されて、出雲の小冠者という天下一の力士と、力を競べることになりました。どうか首尾よくこの勝負に勝ちたいものだと思って、京都に上る途中で筑前の老松明神の社に参詣し、信心を凝らして武運を祈りました。その夜明神は鬼太夫の夢枕に立って、こういう秘密を教えて下さいました。出雲小冠者の母親は、日本一の力士を産もうと思って、その子の腹の中に在る間、毎日々々砂鉄ばかりを食べていた。それで小冠者の五体は鉄のように堅い。ところがたった一度だけ、ついその母親が甜瓜(あまうり)を食べたことがあった。そのために身の内に一カ所だけ、柔かなところがある。それは額のこの辺だということを明神様が教えて下されたのだそうであります。鬼太夫はその御蔭で、相撲の晴れの勝負の時に、小冠者の額の肉の部分を突き破って、勝つことができました。それ故に鬼太夫の子孫の者は、永く老松明神を氏神として祭っていたということです。2018.11.18