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2019.10.2 ライフライン崩壊
 生活していく上で絶対に欠かせないインフラをライフライン(生活の生命線)という。どういうものをライフラインと言うかというと、電気・水道・ガス・電話・道路などが頭に浮かぶ。
 こうしたものが一気に絶たれた例を最近目の当たりにした。千葉での災害である。横浜からは東京湾を挟んでよく見える自治体である。ところがここは意外と広大であることを今回再認識した。
 今回の台風15号は小型だが勢力圏では強い雨と強風を伴っていた。気象庁がに示すように「9日5時未明に千葉県千葉市付近に上陸した台風は「非常に強い」勢力JTWCカテゴリー4レベルの風速を保ったまま関東の至近距離まで接近した。非常に珍しいことで、千葉市付近に上陸したときの勢力は中心気圧960hPa・最大風速40m/s(瞬間風速は50m/sを超えた)の「強い」勢力であった。上陸時の勢力は関東としては過去最強クラス」とあり、強力で竜巻のように家や森を襲い甚大な被害を及ぼした。送電塔2本と電柱84本が倒壊したほか、杉林は強風で枝と葉がもぎとられ先のとがった巨大な杭のように林立し、おぞましいホーラー映画のワンシーンを見るようだった。
 道路が寸断され山間部への交通路は断たれ、送電線の倒壊で大規模な停電が起き、水道も止まった。住民は生きていく手立てを失うことになった。停電については総務省消防庁の調べでは「9日午前8時のピーク時で約64万戸。その後の復旧に時間を要したことにより、停電は異例の長期に及び、17日午後7時半時点では、6万戸あまりで停電が続いた。その間、通信網が途絶した地域からは被害の報告が出来ず、状況が正確に把握できていない状態が続いた」続いて「東京電力は24日、午後7時前に千葉県内の停電戸数がゼロになったと発表したが、後に山間部などの190戸で停電が継続しているとして訂正した。25日現在では依然として146軒が停電している」とあり、台風が襲来してから16日過ぎても電気は完全復旧に至っていないという。被災者は非常事態を長きにわたって偲ばなければならなかった。全半壊・一部破損の住宅は2万軒弱と想像を絶する被害を千葉県にもたらした。政府はこの台風被害を激甚災害指定して対応している。
 ライフラインは現時点では復旧過程にあるが、産業も大打撃をうけているので、その被害額は想像もできないくらい大きくなることだろう。
 日本の天災は避けられないものだが、どう対応したらよいのか幅広い目で見直さなければならないだろう。

2019.10.6 頭と身体の体操

 家や車はメンテナンスしないと傷みが早くなるというのは誰もが知るところである、
 同様に人にもそれは当てはまる。よく身体を動かし(運動し)、新しい発見や発想に頭を働かせる人は身体の老化やボケの防止に役立っている。
 せっかく親からもらったこの身体。使えるだけ使わない方はない。そこで今回は頭と体の体操と題して、人はどのような工夫をして老化を防いているのか考えてみる。
 われわれの同世代の英雄的存在の三浦雄一郎(10月12日に87歳)や加山雄三(現在82歳)は80歳を優に過ぎているのに元気そのもの、バイタリティーの塊のように働き続けている。その若さの秘訣はまさか「セサミン」のお蔭だとは誰も思っていないはずだ。
 三浦雄一郎さんは山に登るために日ごろからストイックな訓練を自ら課し、今年も南米大陸最高峰アコンカグア(標高6961メートル)の登頂とスキー滑降をめざしてベースキャンプまで行ったが、そこでドクターストップとなり下山した。目的は達成できなくなくても挑戦する心意気が凄い。親友の加山雄三さんは「断念の話を聞き、ご立派だと思った。いろんな人に期待を求められても、いざというときは安全第一。お医者さんの言うことを素直に従う謙虚な心も持っている。勇気ある撤退は、本当の冒険家だ」と語っている。彼も海の男で荒れた海で命の危険に何回も遭遇していることだろう。そういう面で冒険家の一面も持っている。
 こうした挑戦する意識を常に持って生きていることが、健康年齢を長年にわたって維持している秘訣なのであろう。
 そこいくと私などは比較の対象にすらならないのだが、毎日僅かな距離の散歩を続けることと、HPを一日一課題を達成するのに汲々としながらも続けている。まあ言ってみれば「一寸の虫にも五分の魂」程度の意地を通しているぐらいのところだ。
 今やレジェンドとも言えるお二方はさておいて、日々活力をもって生活していく心がけが、人の老化を抑えてくれるのだと私は思う。

2019.10.9 衣がえと台風

 季節は秋なのにまだ夏が居残っている。夏の半袖をしまうことができない。変な天候である。最近は官公庁も着るものはフリーで背広にネクタイなどは国会中継でぐらいしか見られない。町行く人はみな半袖だ。
 なぜこの時期に衣替えするのか。これは日本の慣習で、その根拠は「日本人は、古来より服装というのは自分のためだけのものではないと考え、着ている服が周りの人に与える影響も考慮しながら暮らしてきた。とくに大事にしてきたのが季節感で、季節を先取りするのは良いけれど、過ぎた季節をひきずるのは野暮なこととされた」ということで、多少暑くても我慢して折り目正しく冬着に替えるのが「粋(いき)」だったのだろう。いかにも日本人の武士らしい「やせ我慢」の面目を守っている風景である。
そんなやせ我慢より目の前の危機にどう対応するかと言う事態が迫っている。
 いま南方海上にはとてつもなく巨大な台風が発生し、高い海温がその勢力を強めているという。その規模はざっと次のように報じられている「大型で猛烈な台風19号は三連休に日本列島へ、その中心気圧915hPa、最大風速55m/s、最大瞬間風速75m/s」で進路予想図を見ると13日には関東地方に近づく気配を感ずる。もし襲来するなら今年最大の規模の台風になる。
 より正確なコースが分かったら、千葉のような甚大な被害が発生することも予想されるので、早目に緊急対策を講ずる必要があるだろう。
 この台風が過ぎれば、きっと冬支度する季節に移っていくに違いない。
 この月や日本列島台風一過 荻原井泉水

2019.10.12 教訓を生かす

 前回のコラムで示した「台風19号のより正確なコースが分かったら、千葉のような甚大な被害が発生することも予想されるので、早目に緊急対策を講ずる必要があるだろう」ということについて、今近づきつつある危機への対応として各報道番組では想定できる手を早目に打っている。これはまだ傷も癒されない台風15号が大きな教訓になっていることは明らかである。
 人は痛い思いをするとそれを反省材料として「いざという時」にどう動くかということである。今回示しているのは「天災」にどう対処するかということなので、運を天に任せるという部分が多く、人がいかに弱い存在であるかを思い知ることにもなる。それでも最低限命の危険を「避難」という事前の行動で避けることはできる。これは人間の知恵のなせる業と言ってもいいだろう。私は予知能力と言ったものは信じないが、予見する能力はあると思う。
 現在のIT社会の光の部分として「おびただしい量の情報を」発信できることで、今回の台風対策としても千葉県をはじめ東京都等は県民(都民)を守るためのハザードマップ(防災地図)を公開して、住民が混乱しないようなきめ細かい対応している。千葉は避難場所を多くの地域に設置。東京はスマホを使ったSNSで台風情報なをリアルタイムで入手できるようにしている。これらは台風大国日本の被災した経験が教訓になったからだろう。
 危機管理はこのように教訓に裏打ちされている。とは言え常に臨戦態勢を取ることは難しい。せめて「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ことのないようにご用心。

2019.10.16 赤とんぼ

 多くの都県を巻き込んで大きな爪痕を残した台風19号。翌日の朝ウソのような快晴で真っ青な空に赤とんぼが一つ二つスイスイと飛び交っていた。  ふと子どもの頃の原風景に戻って、トンボを追って走り回ったことが頭によみがえった。
 「夕やけ小やけの赤とんぼ 負われた見たのは いつの日か(作詞:三木露風 作曲:山田耕筰)」
 これはちょっと哀愁を帯びた歌なのだが、70年も前の小学生の頃は一日中遊びに夢中で感傷に浸るなどという覚えはなかった。
たまに赤とんぼを捕まえると、残酷なもので羽をむしり取って「赤とんぼ羽をむしれば唐辛子」などと言っておどけていたものだ。これは元々芭蕉の弟子の其角が師匠に向かって詠んだ歌なのだが、芭蕉にダメだしされ、さらに「唐辛子羽をつければ赤とんぼ」と詠ったところ良しとされたそうなのだが、前の句が名句として残っている。従って赤とんぼ残酷物語の張本人は宝井其角だということになる。
 こんなことを近くのスーパーのイートインでコーヒー片手に書いている内に、「秋の日はつるべ落とし」の喩えにあるように、まだ午後五時半だと言うのに外は深い闇に包まれてしまった。
 秋の夜長と言えば、10月27日から11月9日までの2週間にわたり読書週間が行われる。これはスマホなどで本に親しむことが少なくなったことを嘆いた出版社等が、読書を推進する行事を集中して行う期間(嘘)である。
 暇人が 秋の夜長に 歌を詠む 風楽

2019.10.19 自律神経

 かつて経験したことがないくらい巨大な台風19号が日本を席捲してから、もう一週間が過ぎようとしている。その後台風一過の快晴は、前回のコラムに書いた1日だけで、それからはぐずついた天気が続いている。今朝などは床から出るのが億劫なぐらい寒い朝になった。台風の前にはまだエアコンをつけていた。このような気まぐれな天気には付き合いきれずに体の方が追いついていかない。
 いまだに半袖でいいのか、それとも長袖にした方がいいのか選びかねている。と言うのは今後も夏日が来ると言うからだ。このような時に変調をきたすのが自律神経である。「自律神経というのは、意志とは無関係に働く、器官の機能を自動的に調整している神経系」とある(ベネッセ表現読解国語辞典)。
 大体私ぐらいに年を取ると、この自動的な調整機能が効かなくなる。すると外気の温度差に適応できず、風邪などを引くようになる。風邪は年寄りにとって万病の元だから、気を付けなければいけない。
 私の友人もちょっとした風邪をこじらせて肺炎を起こし入院する羽目になった。幸い大事に至らず無事退院できた。しかし、その後も体調が悪いようで何が原因か分からないが、味覚障害を起こして食欲を失くし急激に痩せてきている。
 このように調整機能が狂うとあちこちに歪が出て体調を崩していくことになるらしい。もし自律神経失調症になると回復には相当の時間とケアを続けならないというから厄介な病気である。
 話を戻して、昨今の気候の不順は10月一杯は続きそうで、それからは本格的に冬へと向かう模様である。気候が落ち着けば寒さ対策さえしっかりすれば体調も安定してくるはずである。
 ところが、私にとっては一年の中で11月が毎年不調で、自分の誕生月でもあるが、警戒を要する月である。人間歳を一つ取ることがいかに難しいかということを毎年のように思い知らせられている。

2019.10.22 お国柄(1)
 このHPで掲載中の正岡子規筆まかせ抄現代訳で、今テーマにしているのは「地方の風俗人情」というもので、広くは世界を、目元の地域としては日本の特定の地域を名指しして、辛辣な論評を展開している。
 その話が先の大戦を経験して生まれ変わった現代の世の中で、変わったのか、それとも昔と通じるものが残っているのか興味を持った。そこでこのコラムで再検証してみたいと思う。
 話を展開していく上でタイトルにある「お国柄」と合わせてキーワードとなる類語を最初にピックアップしてから現代版の「地方の風俗人情」を探ることにしよう。
「国柄」その国やその地方の文化の特色。一般的にお国柄の形で使われることが多い。
「土地柄」その地域の持っている特徴的な気風や風俗。
「国民性」その国の国民が共通してもっている性質。
「風土」文化や風俗に大きな影響を及ぼす、その土地の気候・地形・質 など。
「郷土色」風俗・産物などにあらわれる、その地域の特色。
「地方色」自然・風俗・習慣などから受ける、その地方特有の感じ。
「風物」その土地やその季節の特徴をあらわしている事物。
「気風」ある集団や地域の人々に見られる気質。
「気質」言動にあらわれる、その人に備わっている、心の持ち方の性質。
「気質(かたぎ)」ある職業・年齢・身分などの人たちに共通する、固有な気質や考え方。
「風俗・習慣( 風習)」 その地域社会で、人々が長年にわたって伝えてきた生活や行事の独特のならわし。
「精神風土」日本人を日本人として特徴づけてき. たバックグラウンド
「仕来たり」昔からのやりかた。以前からのならわし。先例。慣例。
などのキーワードを上げることができる。次号以降こうしたキーワードを謎解きとして使いながら、日本の特色ある地域色をあぶりだしていきたいと考えている。

2019.10.26 ハマっ子と神奈川( お国柄2)
 横浜生まれの横浜育ちの私であるが、生粋のハマッ子とは言えないのだそうだ。両親が横浜生まれである必要がある。私の子は両親が横浜生まれだからハマッ子と言うことになる。
 私は旅に出た時に、よその人に「どこから来たのか」と尋ねられと、必ず「横浜から来ました」と答え「神奈川県から来た」とは答えない。それはどこか横浜生まれを誇らしく思っているせいであろう。
 そういうハマっ子を評して「他の地域と横浜は違うと意識している人が多く、誇りを持っています。都会っ子なので、スマートで真面目な人が多く、勉強熱心な両親に育てられた真っ直ぐな人柄な人が多いです」という解説を読んだ。
 確かにどこか神奈川の数ある地域の中で横浜に生まれ、横浜で暮らしていることに特別な思い入れがあることは確かだと思う。一方で「都会っ子がスマート」だとは限らないし、「勉強熱心な両親」はそう多くもない。「真っ直ぐな人柄」というのは生活環境に負うところが大きいから、必ずしも正確な分析とは言えない。ということで、ハマっ子を少し過大評価しているようだ。
 横浜の生い立ちはこのHPの「神奈川区史」でも紹介しているように、日本の開国に大きく関わった所に負うところが大きい。そういう歴史がこの地に長く住み着いている人の気質を他と違う面を生み出したことは確かだろう。
 神奈川県はもともと武蔵の国と相模の国が重なり合った地域で、歴史を見ても鎌倉や小田原には時の幕府があったくらいだから、それぞれの地域で気質が異なっているのかも知れない。
 一般的に神奈川県人の評価としては次のような記述がある「他人の事には深入りしない。個人主義。合理的。とらえようによっては『クール』ともいえる。これは調査でも『自分のことばかりで他の人に無関心』という答えが80%もいた」という話はいささか意外である。この記述の中でハマっ子について「自由で平等という欧米風の意識もつちかわれ、日本の古くからの因習。しきたり、近所づきあいみたいなものは苦手」とあり、この説(県民性がわかるおもしろ歴史雑学:三浦竜&日本史倶楽部)には「神奈川の区誌」から見ても当たっていると思われる節がある。続く。

2019.10.29 東京と江戸っ子(お国柄3)
 東京の元をたどれば江戸であるのは誰もが知ることであろう。この江戸は徳川家康が駿府から幕府を移したことから始まるが、当然のように地方から多くの人間を集めた。直参の家臣をはじめ参勤交代による武士階級。大阪などからの商人や各地から集まった職人とその家族たちによって町がうまれた。言ってみれば寄り合い所帯によって構成されていたわけで、当初は独特の気風など無かったことだろう。
 100年以上が過ぎ、三代続いた江戸生まれが登場するに及んで「江戸っ子」が誕生した。この時は元禄時代も過ぎて江戸は世界でも有数の百万都市にまでふくれあがっていた。当時の人口の半分は武士で残りの半分が商人や職人や町火消しなどの町人であったり、農漁業に従事する生産者であった。そうした人たちの中に「ハつぁん」」「熊さん」などのような江戸っ子と言われる一割程度の職人や物売りがいた。
 江戸っ子との気質が今の東京を代表する気質として引き継がれてきたことも歴史の事実である。では彼らはどんな人間像として描かれていたのかのだろうか(wikipediaから引用)。
 『多くの研究者は江戸っ子の性格として「見栄っ張り」「向こう見ずの強がり」「喧嘩っ早い」「生き方が浅薄で軽々しい」「独りよがり」などの点をあげている。また江戸っ子の性格をあらわす表現としては「江戸っ子は五月の鯉の吹き流し」、「江戸っ子の生まれ損ない金を貯め」という川柳に見られるような「江戸っ子は宵越しの銭は持たぬ」という金離れの良さを著した言葉がある。現代に見られる類型的な江戸っ子像として「金離れが良く、細かい事にはこだわらず、意地っ張りで喧嘩早く、駄洒落ばかり言うが議論は苦手で、人情家で涙にもろく正義感に溢れる」「いきでいなせ」などと表現される短気・気が早い、などとも言われ、江戸っ子気質(えどっこかたぎ)などとも呼ばれている』とある。
 幕府を開いた将軍様家康は三河の生まれで「質素倹約」を旨とした。そんな中で「宵越しの金は持たない」という気質の江戸っ子が誕生したのだろう。その背景には「家事と喧嘩は江戸の華」という喩があるように、財を成しても大火で一瞬にして消えてしまう世の無常を見続けたからだという説がある。そうして受け継がれた血は東京人(古くから東京に住み続けている)は「お金に執着しない」の気質が残っており、「気風も気前のよい江戸っ子」を評して大阪人は「えーかっこしい」だと本音で生きる関西人らしい評価をしている。続く。