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2019.12.4 北陸地方富山県(お国柄13)
 富山県は地理的に見て中部地方の日本海側、新潟県を含めた場合の北陸地方のほぼ中央に位置する。 富山連峰を源にする一級河川が多い。東の新潟県との県境は難所「親不知(おやしらず)」として知られる。長野県との県境には北アルプスが聳える。石川県との県境北部は宝達(ほうだつ)丘陵、南側は岐阜県などにまたがる両白(りょうはく)山地である。南の岐阜県境には飛騨山脈(日本アルプス)や飛騨高地が控える。一級河川が多いことから川との闘いも無視することができない土地柄である。
 方言としては富山弁がある。地域によって呉羽山周辺を境とする呉東(ごとう)方言と呉西(ごせい)方言、魚津弁などに分かれる。富山弁は北陸方言に属し、特に石川県の能登弁と類似性がある(インターネット調べ)。
 江戸時代には富山藩だけでなく加賀藩にも年貢を納めさせるといった搾取が激しかった。寒い土地柄冷害を受けやすかったので、一揆が多発したという歴史が残っている。新潟県同様中世以降に近畿との交流が盛んであったところから、稼ぐ方策として 「富山の薬売り」といわれる配置売薬商法を富山商人が自分たちの商法として確立したという。このように粘り強く忍耐強い上に斬新なアイディア力も持ち合わせている。
 現在でも「越中富山の薬売り」は全国津々浦々、一日中一軒一軒訪問して粘り強く働く。男女とも勤勉な人が多くコツコツ働く、こうして成功を収めた結果は、一家族あたりの収入の高さも、持ち家比率も全国一位である。とにかくよく働くという面で突出している。反面そうした姿は他県人から見ればねたましく、越中人の生への意欲の強さを評して「越中強盗」なる言葉を生んだ。
 この他の特徴としては、富山県人はイエス・ノーははっきり言うが、協調性があるので、付き合いやすい。ギャンブルは好まず、生真面目で、やや堅いのが難点とされている。
 過去に圧政に苦しんだことから「政治家なんてもんは、頼りにならんちゃ。自分の生活は自分で何とかするがやぜ」という自助の精神が強く、富山県人は政治家以外皆働き者になったのだそうだ。 続く。

2019.12.7 北陸地方石川県(お国柄14)
 石川県は、加賀と能登の二つの国だった。江戸時代には加賀の前田家がこの二国と富山を支配した。幕府は常に豊かな国加賀藩への警戒を怠らなかったため、藩主は文化を奨励して中央の緊張緩和に心がけた。こうして加賀文化はそのまま後世まで引き継がれた。加賀藩を守るため、控えめで事を荒立てずに済ました歴史が育んだことが県民性に深く影響している。
 2011年発表の「幸せ度指標として法政大学ランキング」では北陸3県を高く評価している。 ランキングでは富山7.20点(2位)、石川6.90点(3位)、福井7.23点(1位)と北陸3県が揃って高い位置にある。2016年の調査では2位に割り込んでいる。石川が高い指標を示しているのは「学ぶ」で、これこそ加賀藩の伝統が生きている証で「本好き」「勉強好き」が多いという。
 石川県は広大で豊かな土地に育まれ、県民性は穏やかである。反面インテリにありがちな優柔不断な性格が特徴である。消極的でおっとりとした人が多いのは、進取の気持ちもなく、行動力・決断力に欠けるのが特徴だとも言われている。当然、自分の意見をはっきりと言う人も少ないのでイライラすることも多いそうだ。慎重でおとなしいが、忍耐力だけはあるので、コツコツ真面目に働く。なかなか感情を表に出さないので、最初は付き合いにくいが、時間をかけて親交を深めればOKだという。これはネット調べで私は能登には行ったこともないから、あまり鵜呑みにはできない御高説ではある。
 東京や関西とは異なり東北や北陸では 役人がモテる、市役所や県庁勤めの役人なら初めての酒場でもツケを断られることはまずないという話は本当のようだ。これは権力に弱いという一面を示している。
生来おっとりとして他人を押しのけてでもという積極性がないぶん、ビジネスの場で置いてきぼりを食いやすい。
 この積極性の無さは次のようなエピソードを残している。明治時代の言わば日本のルネッサン期に隣の富山県が「これからは工業だっちゃ」と工業化に積極的に取り組んだのに対し、石川県民は「別に工業なんかに力を入れなんでも、十分食っていけるけんね」と兎と亀の競争ではないが、取り合わなかったそうだ。その結果が近代化の波に乗り遅れたと今に伝えられている。京都のように古きよき伝統を守り続けたことが「新しいものは苦手」という県民性を浮き出させている。
 「金持ち喧嘩せず」のことわざにあるような県民性は時代に翻弄されない「賢い」県民性なのかもしれない。 
 「そんなあわてんと、いんギらーっとしていくまっし」(そんなに慌てないで、ゆっくりとしていきなさいよ) 続く。

2019.12.10 北陸地方福井県(お国柄15)
 北陸地方で最後に紹介するのが福井県。日本海側に面し、北側の嶺北地方と南側の嶺南地方に大きく分かれる。北の越前海岸や南の若狭湾など海が有名で関西地方などからも多くの旅行客が訪れる。日本海側に面しているので冬には雪がたくさん降る豪雪地帯でもある。一年の三分の一か四分の一が雨か雪という降水量の多い土地柄で、「弁当忘れても傘忘れるな」といわれるほど雨が多い。一月の日照時間は65時間で、これは東京と比べると三分の一の時間だという。
 港に恵まれて越前、若狭の物資が積み出され、古くから交易で栄えた。また、 日本海と太平洋の物資の取次地となり、北国街道を通じて京都、近畿と交易するなど古くから「越前商人」として名を馳せてきた福井県人。商才に長け、地道に畑を耕すより、商売で結果を残したいタイプが多い。がんばり屋だが、同じ労力を使うなら効率よく利益をあげたいと考えている。
 こうしたことから、要領がよく、他県人からは「越前詐欺」と呼ばれたほど商売がうまい。それほど商才に長けている人が多いということだ。目標のためにコツコツと頑張り続ける努力家の一面もある。発想力にも優れていて、仕事やビジネスに結び付けて起業する人も多く、そのせいか福井は社長輩出率が高い。小規模でも、一国一城の主となり、自分中心で自由に商売をしたいという性分の表れである。南部の若狭は楽天的な関西風だが、勤勉で堅実さは同じである。
 女性は日本一の働き者である。こうした厳しい環境の中で生活するため、貯蓄が盛んだが、冠婚葬祭や家の新築に金をかけるなど使うときは使う一面を見せる。お堅いようだが、意外に新しいものに対しては素早く対応していく柔軟さがある。
 しっかり者ぞろいに見えるが、福井県は都市部であっても少し歩けば田園風景を見渡すことができ、山や海など自然に恵まれている。そんなのどかな土地に住む福井県民は穏やかな気質でのんびりとした性格をしている。方言もゆったりとしており、忙しなく動くことを嫌うという。
 名所旧跡も多く、勝山の恐竜博物館や国の天然記念物に指定されている東尋坊、曹洞宗の大本山である永平寺など観光スポットも多くある。
 北から南へと細長い地形をしているところから、南側を指す嶺南〈敦賀市以南)の県民性は、明るくおちゃらけた気質なのが特徴とされる。関西弁に近い方言が入り交じっていることから、嶺北の人と比べるとハキハキしていて意見をはっきりと言う。好奇心が旺盛であまり人見知りはしない。
  おんちゃん 福井に住めて幸せやの~ 続く。

2019.12.13 中部地方山梨県(お国柄16)
 中部地方は、日照に恵まれ農耕が盛んで生産が豊かなところから、多くの街道、集落が発達して商業的な気風が高い土地柄である。 しかし大阪のように全国から商人が集まって自由に取り引きするようにはならず、土着の人たちは排他的で、同じ地域内の者同士であっても競走しあい足を引つ張り合う独特なキャラクターを形づくっている。  
 こうした背景には相互の権力争いが続いた歴史的背景がある。戦国時代に織田信長が創り上げた近世国家を、愛知県人の豊臣秀吉、徳川家康が全国に普及させた。
 甲斐の国は戦国時代には武田氏が国人勢力を征圧して戦国大名化し、武田信虎期に開創された甲府が城下町として整備され、政治的・経済的中心地となった。「人は石垣人は城♪」甲斐国(山梨県)が生んだ戦国時代の名将・武田信玄と配下たちの出陣を描く流行歌『武田節』の有名な一節である。戦いに勝つも負けるも,要は人(兵士たち)の団結いかんであることを歌っているのだが,山梨県人の最大の特徴は,その強い結び付きにある。
 団結を象徴するのが「無尽」である。江戸時代に始まったもので,かつての相互銀行の原型を成した互助システムのことをいう。毎月1度,決まったメンバーが集まって,決まった金額を出し合い,それをプールしておく。メンバーの誰かが,冠婚葬祭はもちろん,商売の資金が足りない,急な物入りがあるといった事態に遭遇したとき,蓄えたお金から融通するのである。時代は変わった今でも決まったメンバーが毎月集まるという形は続いている。実際,山梨県では,職場,地域,同窓・同級,趣味のサークル,近所の主婦同士,集まる単位はさまざまながら,誰もが何かしらの「無尽」に属している。
 山梨県」は県土の約78%が山林で,可住地は県土の21.1%,経営耕地面積も5.3 %ほどである。海に面する場所はなく「山はあってもやまなし県」というほどたくさんの山に囲まれた盆地である。夏は暑く冬は寒い県。高い山は、強風を運ぶかわりに湿った風をさえぎるため晴れの日が多く、比較的天気がいい土地である。そうした地形から山梨のブドウが栽培され、特産品として全国に売りさばかれている。そこには「企画力やアイデアに富む」県民性が見られる。
 他方で、山が多く平坦地が少ないため農作物が取れにくく、農耕地も限られ、後継ぎである長男以外は貧しい生活を支えるために出稼ぎ商人として大風呂敷に呉服物を包んで動勉に売り歩いた。こうして負けず嫌いで強気な、アクの強さで有名な甲州商人が誕生した。こうした商人を地元では「メチャカもん」と呼ぶ。 続く。

2019.12.16 中部地方長野県(お国柄17)
 長野県には諏訪湖という大きな湖があるが、先述の山梨同様海がなく山に囲まれた盆地である。従って県民気質は山梨に似たところが多くみられる。交通路としては、東海道も北陸道も通っていないが、中山(仙)道の街道筋にあり、絶えず刺激を受けて文化が豊かに育った。
 江戸時代から盛んだった寺小屋教育を引き継いでいるので教育熱心で知的水準が高い。
 海に面していないので塩を貴重なものとして「塩の道(塩の道は日本全国にいくつもあり、特に日本海側の越後と信州を結ぶ千国街道(糸魚川 - 松本・塩尻)が塩の運搬に関する遺構も残されていて良く知られている)」を通じて運びこんだ。
 山に囲まれた盆地によって生活様式が違うが、県民性は律儀さが強い。義理堅く律義なところは全国屈指だという。
 県民性研究の第一人者、岩中祥史氏によれば「47都道府県の中でも、最も強烈な個性を持っていると言えるのが長野男性です。その特徴は、理屈っぽい、そして議論好きの二つ。もう一つ、勉強熱心というのもよく指摘されます。長野県は海に面しておらず、山間にあるため、人が住む所は主に盆地でした。山が多く、交通の便も悪いため、それぞれの地で培われた気質が混じり合うことはほとんどありませんでした。そのため小さな地域に分かれた町や村では、どこの人たちも、自分たちが"標準"だと考えていました。冬場の厳しい気候が長野男性の気質に拍車を掛けます。こうした狭くて孤立した地域社会の中では義理堅く律義な生き方が重視されました。その結果、全国でも屈指の生真面目な性格が育まれました。いまでもその傾向は強く、長野では不正直な人、軽薄な人は嫌われます。その裏返しなのか柔軟性に欠け融通が利かない、何かあったとき臨機応変な対応が苦手というのも長野男性の大きな特徴」とある。
 総合的に言って長野県は全国第4位の広い面積を持ち、長野市、松本市、飯田市、上田市と4つの文化圏を形成し、それぞれ独自の県民性があり、なかなか一口でまとめるのが難しい地域ではある。
 長野弁「おらほうじゃあ『のびろ』ってせっているけんど、ほんとは『のびる』ってせうらしい。(中略)こん時だけしか食べらんね からつい箸伸びてしまう。そだから『のびる』ってせうんかやあ」
 標準語「私たちのところでは、『のびろ』と言っているけれど、本当は『ノビル』というらしい。今しか食べられないから、つい箸が伸びてしまう。それで、『のびる(ノ ビル・伸びる)』というのかなあ」 続く。

2019.12.19 中部地方岐阜県(お国柄18)
 岐阜県といえば戦国時代にゆかりのある地として知られる。美濃といえば斎藤道三であるが、名もない境遇から僧侶、油商人を経てついに戦国大名にまで成り上がった人物だとされる。そのあとに登場したのが、斎藤家に代わり美濃を治めた織田信長で、この地を「岐阜」と命名し、さらにはここから天下統一を志したという。そして、戦国時代を終息へと導いた天下分け目の合戦の跡地、「関ケ原古戦場」もある、日本のヘソの部分に当たる土地柄である。
 岐阜県は大きく分けて二つの地域からなる。北部は険しい山々が連なる飛騨地方。南部の美濃地域は木曽川・長良川・揖斐川という「木曽三川」が集まる名水の地でもある。
 このように北(山の飛騨)と南(川の美濃)とでは大きく異なる土地柄で、県民性にも大きく反映されている。
 岐阜県は全国で7番目に広い面積を持つ大きな県だが、中でも白川郷で知られる飛騨地方はその過半を高山市が占めており、その大きさは香川県や大阪府よりはるかに大きい。白川郷の合掌造りの大きな家には、明治の中頃までは40人とも50人ともいわれる大家族が暮らしていた。その最大の理由は、山中にあり田畑となるような土地が極端に少なく、成人して家を出ても新しい家庭をつくることができなかったからだという。こうした大家族主義は、家族間の結束を強め、畑作や養蚕、屋根の葺き替えにも家族や地域総出であたらなければならず、そうした環境が「素朴で勤勉だが、閉鎖的」という飛騨人気質をつくりあげたと言われている。観光地となった今では「おっとりした性格で、上品さと精神的余裕を持った性格を持ち合わせている」と評判は高い。
 南部の「川の美濃」は大きな河川があるため、灌漑が大きな事業で、洪水を堰き止めるため堤防を築いたが、この堤防に囲まれた地域を「輪中地帯」と呼んでいた。堤防に囲まれた閉鎖的な地域では水と戦うため一致団結してことに当たってきたが、こうした美濃人気質を「輪中根性」と呼び輪の外の人たちへの関心の低さを揶揄された。
 そうした伝統が今も引き継がれ、美濃に住む人々は「温厚」で「人当たりもいい」と称される反面「保守的」で「自分本位で自己中心的」そして、「合理的に物事を考える傾向が強く、金銭感覚にはシビアで無駄なことを嫌う傾向」があるとも指摘されている。
 岐阜弁は語尾に「や」が付く言葉が多く、そこが関西弁に似てると言われることが多いゆえんでもある。「~じゃん」は「~やん」、「~だ」は「~や」など、独特な使い方では「~だよ」を「~やお」と言ったり、「~でしょ」を「~やら」と言うこともある。 続く。
2019.12.22 中部地方静岡県(お国柄19)
 静岡県は東西に長く伸びており、東海道新幹線が県を縦断しているのが特徴で、新幹線停車駅は全都道府県で2番目に多い6駅もある。東京にも近い立地関係にあり、鉄道で首都圏と繋がる好アクセス地でもある。「ほどよく都会」で、日本の中心部に近いことから日本を代表する県民性を持つとも言われている。
 静岡県の気候は、夏は比較的暑すぎず、冬は温暖で暮らしやすい気候ともいわれている。降水量も多すぎず、少なすぎず平均的。このように、静岡県は立地条件も気候にも恵まれ、これを活かして農作物や海産物が豊富に生産されている。ゆったりと過ごせそうな静岡県。かつては伊豆・駿河・遠江の3つのエリアから構成される県だった。男女の性格は全体的におだやかな人が多い印象だが、エリアによって微妙に特徴は異なるようである。
 ここでは以下の4つの地域に分けてその県民性を探ってみた。
 伊豆(熱海市、伊東市、下田市、伊豆市、伊豆の国市ほか)は、富士山や伊豆の温泉などの観光スポットが多く立地する。温暖でのんびりとした地域である。全体的におっとりとした性格で、あまりガツガツせず消極的な傾向があるが、内面は頑固で曲げない性格とされる。気さくで堅実的な特徴もある。
 東部(沼津市、三島市、富士宮市、富士市、御殿場市ほかなど)は、男性は明るく行動力もある。あまり考えずに主張することも多い。女性は、フランクで包容力のあるしっかり者。行動力もある。
 中部(静岡市、島田市、焼津市、藤枝市、牧之原市ほか)の男性の性格や特徴は、のんびりしているが優柔不断であるという特徴がある。おっとりしてあまりはっきりしない人が多い。男性に比べると、女性の方が強く、元気ではっきりしている。やはり堅実で見栄っ張りなところはあり、無謀な事をせずあまり変化を好まない。どちらかと言えば保守的で勤勉なところが強い地域である。
 西部(浜松市、磐田市、掛川市、袋井市、御前崎市、湖西市、菊川市ほか)は、江戸時代、遠江(とおとうみと)呼ばれ、気性が荒く経済感覚がシビアなので「遠州泥棒」と揶揄されたりしている。やらまいか(やりましょう)精神という遠州人の「あれこれ考え悩むより、まず行動しよう」という進取の精神がある。言うことはきついが、心の中はそれほどでもない。決断力があり、改善や改革にも前向きに取り組んでくれる。一番西寄りだけあってほかの地域とは異なる気質を持っているようだ。
「静岡は、あんてぃもこんてぃもみんなこんな言葉を喋るもんずらか?(静岡は、あいつもこいつもみんなこんな言葉を喋るのでしょうか?)」 続く。

2019.12.27 中部地方愛知県(お国柄20)
 中部地方最後に紹介する県は愛知県。この県は「ケチ」ということを避けて通れない気質が付きまとう。経済観念が高く「もったいない」と「堅実」がモットーで「トリプル根切りの名古屋」と言われるほど商談や請求、支払い時点では必ず値切る。これは金銭感覚がしっかりしてい証しである。「ケチ」というより「合理的」という方が適切だ。
 歴史的にみると、江戸時代に入って商業が盛んになったが、尾張藩の財政がひっ迫した折に藩命により勤倹節約の励行が求められ、そのことがケチ気質や「貯蓄性向の高さ」を生む発端になったということだ。
 名古屋商人の商売上手は「損得勘定がしっかりできる」ことであり、「合理的に物事を判断できる」わけだから、これはケチではなく「しっかり者」と評価した方が正解と言えよう。
 地理的視点で見ると、愛知県は岡崎市や豊橋市を中心とした県東部の三河地区と、名古屋市を中心とした県西部の尾張地区の二つに大別される。
 三河地区というところはTOYOTA自動車の本社工場がある所だが、TOYOTAだけでなく三菱自動車やスズキなどもあり三河地区全域に自動車関連の会社で埋め尽くされている。男女みな自動車関連の仕事に就き給料も多く、裕福である。農業なども多く行われており愛知県の地主さんと呼ばれる人が多い土地である。金の苦労がないうえ、戦国武将徳川家康が生まれたのは三河地区にある岡崎市というところで当時のゆかりの地が残されているところから、プライドが高い人が多く、自分を主張したいというかこだわりが異常に強く誇り高いのが特徴である。
 尾張名古屋の個性はとくに際立っている。最初に紹介したように保守的でケチ、堅実で実利性にも富んでいるのが特徴。他人を信用しないから、貯め込んだカネも、自宅で保管する人が多い。さらに「一安二量三味(いちやす、にかさ、さんあじ)」といわれるように、まず価格が安いのを善としている。見栄っ張りで 目立つのが大好で名古屋の「金のシャチホコ」と「結婚式の派手なこと」は日本中で有名だ。
 新しいものへの関心は薄く、よそ者もなかなか信用しない。見た目は派手で豪快なイメージでも、生活ぶりは意外にも質素だといわれる。要領がよく、なかなかの世渡り上手である。
 名古屋の人は、自分の意見を強く主張することはなく、曖昧な態度をとることが多いため、他県からは本質を理解されるのが難しいタイプと言えよう。(「県民性」がわかる面白歴史雑学:三浦 竜 三笠書房などを参考に作成)
 「ようこそいりゃ~た。ゆっくりしてってちょ」は「ようこそいらっしゃいました。どうぞごゆっくりお寛ぎください」 次は関東(最終順位)を飛ばし「近畿地方」へと続く。