2019.2.3 平成を生きて第Ⅺ章
私の人生における第三ステージは、今まで示してきた激動の平成史を背景に展開していく事になる。私にとっても肉体的な変動期に当たる75歳の年に、はじめて身体にメスを入れざるような急な事態があり、それが一つの引き金となり腰痛の悪化、糖尿病による帯状疱疹後神経痛の発症へとつながっていくことになる。つまり、身体が衰え、あちこちが痛いという辛い状態と直面せざるを得なくなり、それが今も尾を引いている。
一方でその年代で始めた手作りのホームページ(以下HPと記す)が私の気力を支える原動力になっていることは確かなことと自覚している。
人が長く生きていくためには毎日何か活動していないといけない。大切なことはモチベーションを持つことである。仕事を続けられている人は幸運で、それ以外の人(多数が年金生活者)の場合も何か趣味を持って、それを続けていくと、そのことが生きていくためのモチベーションとなる。80歳を過ぎて元気にしている人は、必ずと言っていいほど何か活動している。その何かは人それぞれである。これは前にも記述したが、体を動かすことを日課とすることや、私のようにあまり自由に動けない者はHPを作るような創造的仕事があると、毎日どう過ごそうかというような悩み事が起きない。要は根気よく続けられるものを持つということが、生きていく上で必要であると私は思う。
趣味は目に見えるような成果があがるもので、自分の行った道筋を追うことができる。例えば、老後で始めた絵画を毎年年賀状に印刷して見せてくれる人がいるが、年々驚くほど上達していることが見て取れる。本人が精魂込め時間を惜しまず筆を振るった結果なのだろうが、そこにその人の生き様が垣間見える。
私の創作活動も自分の味を出したいと願ってはいるが、果たして読者の目にどう映るかは別である。評価をされるために書(描)いているのではなく、生きているために書(描)いているのであって、自分のためにである。趣味というものはそういったものであろう。
結論を言おう。「長生きしたければ何かをすること。それも途中で放り出さない持続する意志と覚悟を持って」
2019.2.7 言葉の大切さ
『始(はじ)めに言葉ありき』これは新約聖書ヨハネによる福音書1章1節の書き出しで「言葉はすなわち神であり、この世界の根源 として神が存在する」という意味である。人は言葉によりコミュニケーションをとり歴史を築き進化してきた。最近はAIといってコンピューターも人の言葉を理解することができるようになり、一般家庭にも家事ロボットなども導入されて、今では家の歴史すら変えるようになっている。
どれだけ言葉か大切であるかということは言うまでもないが、まさに私の今は言葉を紡ぐことを生き甲斐にしている。このHPの根幹をなすコラムは大体800字前後で構成される言葉の集まりである。
人の多くは対話という形で言葉を使う。何気なく繰り返される言葉の連なりが、喜怒哀楽という感情を湧きおこす。言葉を文字として表現する時は推敲を重ね慎重だが、話をする(おしゃべりや対話)時はもののはずみということもあって、往々にして感情的になるころがある。賑やかに騒いでいる時はいいが、いったん感情的な対立を引き起こすと双方が傷つく場合すら多くある。それだけ言葉は選ばないと取り返しの使いないものでもある。
今国会の真っ最中であるが、討論の難しさを肌で感じる。野党VS与党という対立者同士が言葉の応酬を繰り返すのだから、一言一句に重みがあるはずなのだが、現代は政治家イコール弁士ではないから、言葉が洗練されておらず、ややもすると感情が表に出て、応答が粗雑で見ていて白けてしまう。丁々発止のやりとりがないので緊迫感にかける。この時期大切な審議が繰り返され日本の将来すら委ねているのだから、視聴者があきれてしまうようでは、それこそ話にならない。
これで言葉の持つ大切さが、このコラムを見る人に伝わったであろうか。そうでないとしたら私の舌足らずということになる。常々言葉の重みを痛感していても、なかなかスッと腑に落ちる文章は書けないものだ。これからも言葉の勉強の種は尽きない。
2019.2.10 日帰り手術
年を取ると耳が遠くなったり、眼が見えにくくなるということはよく聞く話である。私も多分に漏れず眼の白内障がひどくなり、眼科医に手術を勧められてクヨクヨしていたのだが、ついに受けることになってしまった。
とくに左目がひどく霞んで見えるようになったため、左目だけ手術を受けることにした。
手術は大体一日ぐらいは入院すようで、友人の場合は四日入院したそうだ。事前に執刀医と相談したところ日帰りでもできるというので、渡りに舟で即答して日帰りと決まった。
6日の日に妻同伴で来てくれということで、これは帰りに眼帯で片目歩行になるため介助が必要だということだった。午前中に病院に出向き、先ず事前の検査を行い、午後3時ごろに手術と決まった。午後、食事をとって1時過ぎに手術前準備の洗眼や心電図などをとって控室で待つことになった。ベットに横になり点滴なども受けると、もう2時を過ぎており、手術前30分にルールにより車椅子で手術室に向かった。手術は20分~30分ほどかかるという話であった。
ところが前の患者が出血したらしく、1時間近くかかったということで、少し怖くなった。人伝であるが「アー簡単だよ」という話であったが、例外はどこにもあるようだ。私はそうならないことを念じた。
いよいよ私の番になり、手術台に上った。手術と言ってもメスは使わないようである。5ミリ程度のコンタクトレンズ状のものの左右にやはり5ミリ程度の細い糸(金属?)がついており、それで眼球に固定するらしく、局部麻酔して行う。
最初に目をクリーニングするため、大きく見開いた瞳孔を洗浄する。その時色々な色彩が目の中を飛び廻る不思議な光景を見ることになる。そのうち、ズキッという感じがした。たぶんそれがレンズを固定した瞬間だったのであろう。最新型の手術台は随所に進行状況を知らせる人工の声が「システム○○」といった塩梅のアナウンスが耳に聞こえる。「フィニッシュ」といった声がしたので、全工程が終わったのと分かる。約20分で手術完了である。少し緊張したが無事に終わった。そのあとのケアが大切らしく、3種類のやたらに染みる目薬と抗生物質3日分、それにゴーグルを買わされた。術後1週間ほどは風呂にも入れず、目がかゆくても触れてはならぬということだった。
帰りはやはり片目で歩きにくく、何十年ぶりかで夫婦で腕を組んで歩くことになった。
翌日再度病院に赴き、眼帯を取ったら別世界が展開していた。いいはずの右目が少し白内障が進んでいることが分かるほどの違いである。
その日は「一人で歩きなさいと」女房殿はそっけなかった。
2019.2.13 バレンタインデー
明日はチョコーレートが街中にあふれる日。いつの間にか異国の文化的行事が日本に定着してしまった。小学生から未婚の女子にいたるまで、この日は日頃心に想いを寄せる男性に、チョコレートの甘い味と共に、そのことを伝えることができるまたとない機会となる。一方で会社などの同僚に配る義理チョコなんて言うのもある。不要なように思えるが、ホワイトデーのお返しのほうが高く付きそうで、ちゃんと織り込み済みの気の入れようなのかもしれない。
思うに私のような年寄りには、もはや縁のないことで、これは菓子業界の販売戦略の一つぐらいにしか思っていない。何れにせよ、日本人のお祭り好きは何かしら理由をつけて「酒が飲めるぞ」というくらいだから、異国の文化もこの時を一にして行われている「春節」と合わせて「合コン」などと言って飲む機会を増やしてしまう。もっともチョコレートとお酒というのは結びつかないが。その後の付き合いは「酒(ただし20歳以上の大人)」が絡んでくるに違いない。私は全くの下戸だから随分と付き合いの機会を無くしてしまったような気がする。
ところでサンタクロースと並んで有名な聖人バレンタインとはどんな人だったのだろうかと調べてみた。「 ウィキペディア(Wikipedia)」
「聖バレンタインデー(英: St. Valentine's Day)は、2月14日に祝われ、世界各地でカップルの愛の誓いの日とされる。元々269年に兵士の結婚のために殉教した(時のローマ皇帝は兵士の婚姻を禁じていた)聖ウァレンティヌス(テルニのバレンタインと呼ばれる)に由来する記念日だと、伝えられている。
日本では、1958年ごろから流行した。ただしその内容は日本独自の発展を遂げたものとなっている。戦前に来日した外国人によって一部行われ、第二次世界大戦後まもなく、流通業界や製菓業界によって販売促進のために普及が試みられたが、日本社会に定着したのは、1970年代後半であった。『女性が男性に対して、親愛の情を込めてチョコレートを贈与する』のキャッチコピーでモロゾフ製菓がバレンタインチョコを最初に考案した仕掛け人であるとされている」とある。
商売になれば何でもやるという日本人さがよく表れた「祭り・行事」である。
2019.2.17 春一番
「雪が溶けて川になって流れて行きます つくしの子がはずかしげに顔を出します もうすぐ春ですね ちょっと気取ってみませんか」これはキャンディーズ『 春一番』で当時大ヒットした歌の出だしの歌詞である。
私もこの寒暖の激しい冬の終わりを告げる『 春一番』が吹くのを秘かに待っている一人である。
ところでこの『 春一番』という呼び名のルーツとどういう気象現象をどう定義づけるのだろうかと少し探ってみた、
この呼称はある地域では古くから使われていたが、それを世に知らしめたのは、足で実査することで有名な偉大な民俗学者「宮本常一」によって紹介されたのがきっかけである。彼は研究のため郷ノ浦町を訪れてこの「春一番」をいう語を採集し、1959年に壱岐で用いられている語として『俳句歳時記』で紹介している。この郷ノ浦町での取材で「長崎県郷ノ浦町では安政6(1859)年2月13日(新暦 3月17日)に長崎県五島沖に出漁した漁師 53人全員が,春の強い突風で遭難した。これ以後,郷ノ浦の元居地区では,春の初めの強い南風を「春一」または「春一番」と呼ぶようになったといわれている」と「悲しい歴史」を報じたことによる。
一般に広く普及したのは 1960年代前半で,1963年からは一般新聞紙面の天気図欄に掲載されるようになって定着していった。
気象庁では次のように『 春一番』を定義付けている。
「(1) 立春から春分までの間であること,(2) 日本海に低気圧があること,(3) 強い南寄りの風(風向は東南東から西南西まで,風速 8m/s以上)が吹くこと,(4) 気温が上昇すること,である」としている。
今は2月の中旬であるので、まだ天気予報では3月にも雪が降りそうだと言っているくらいだから、『 春一番』はまだ先のお天気になりそうだ。
とは言っても、外を歩けば梅は満開だし、桃の花も蕾を膨らましている。真赤な椿も目を引くようになり、自然界は春の訪れを確かに告げている。
2019.2.20 BGM(ビージーエム)
BGM(バックグランドミュージック)というのは、喫茶店などで静かに流れている曲のことで、会話の邪魔にならない程度の音量でムードミュージックが構成の中心になっている。私がよく聴くのは70年代~80年代のイージーリスニングと呼ばれるものである。実例を上げるとパーシー・フェイス、ポール・モーリア、ヘンリー・マンシーニ、レイモン・ルフェーブル、カラベリ、リチャード・クレイダーマン(ピアノ現役)などレンタルCDからパソコンに収録して、それをスマホのmicroSDカードに読み込んで、気分によってイヤホンで聞きながら仕事(HP作成作業のこと)をしている。
最近はイージーリスニング専門チャンネルなどもFM放送で聴けるので、一日中イヤホン掛けっ放しにすることもある。
BGMは癒し系の音楽なので、絵を描くときなどは邪魔にならず、むしろ効率が上がるものである。私の絵は「塗り絵」であるので、線描するときは気持ちを一心に集中するためにイヤホンを外す。それに着色する時はまたイヤホンをかけて音楽を聴きながら区画された白地を色で埋めていくという作業をしている。
BGMの効果は実際にあると証明されているので、少し紹介してみる。
意外とその歴史は古く、何と紀元前2000年ころのエジプトにその記述が残っている「当時のBGMの大きな役割は、妊婦の出産の苦痛を和らげるためだった」ということである。古代のギリシャ、中国、インドなどでも音楽は癒しのパワーとして暮らしに根付いていたという。
インターネットで調べたところBGMの持つ4つの効果という記事が見つかった。簡単に纏めると、①マスキング効果:ある音を別の音で隠すことで、最初に記した喫茶店の例では隣の会話を気にしないですむという効果がある。②感情誘導効果:道端を歩いていて、突然どこからかピアノの妙なる音が流れてきて、ふと立ち止まって聞きほれてしまうことがある。これなどはピアノに一瞬にして引き込まれて極めて短時間で感情の変化を起こすことを示している。③イメージ誘導効果:テレビのCMで音を聴いているだけで商品イメージが湧いてくるものがある。そのようにその場では「聴いていない」つもりでも、音は確実に人間の心理に影響がある。④行動誘導効果:よくランニングしながらヘッドホンで何か聴いている人を見かける。アップテンポの時は早く、スローテンポの時はゆっくりという風に、運動をBGMひとつでコントロールすることができる。
このようにBGMは人の心に色々な作用をもたらすものなのだ「たかがBGM,されどBGMである」
2019.2.23 高座 1
ぎっくり腰(1)
このコラムを描き始めたのは2013年9月であるので、もう5年半近くになる。コラムの数も850話近くになり、当初の目標千夜一夜物語の数に近づいてきている。ところが最近はネタ探しに苦労する始末。そこで今回から趣向を変えて自分の身の上に起きた細事を落語調に書き綴って見ることにした。
メインタイトルが「高座」で御座いますので、入れ代わり立ち代わり話の内容が違ってまいります。笑いのある話として語り継いでいこうという意気込みではありますが、皆様方にどのくらい楽しんで頂けるかはお客様次第で、私といたしましてはドタバタしながら書き進めていく所存です。
第1回の演目は「ぎっくり腰」で御座います。この話数回にわたる長口舌になるやも知れませんがお耳の邪魔をさせて頂きます。
さて「ぎっくり腰」正式には坐骨神経痛と申すそうで、とっても痛くて歩くことが非常に難しくなる禍で、ドイツでは「魔女の一撃」と言われるほど世界中でも痛い病気の代表格になっている病であります。3か月ほどで徐々に痛みは消えるそうですが、何回も再発する厄介な神経痛であります。
ここまでは前置きで、これからがイターイお話の始まりです。私が初めて「ぎっくり腰」になったのは50代で、仕事仲間と一緒に職場の近くの食事処に行った時の話です。その店は中が板敷でそれも真っ黒ないかにも固そうな床で、そこに丸い萱を編んだ丸座布団があり、そこに胡坐(あぐら)をかいてテーブルに向かうという仕組みになっておりました。何事もなく食事を終わり、さて立ち上がろうかとした時、「ハクション」と大きなくしゃみをしたところ、腰に激痛が走りました。それが痛いの何のって身動きもできません。仲間が「こりゃ直ぐに医者にいかにゃ」と申しました。その時私の親戚に「ゴッドハンド」と呼ばれる鍼灸師がいることが頭に浮かび、仲間に助けられてタクシーに乗せてもらい介助付きでその鍼灸院に行きました。そこで電気鍼をツボに打ってもらったところ嘘のように痛みは消えて、スタスタと歩けるようになり職場に戻ることができたというのが、一回目の「ぎっくり腰」のお話。どうもお粗末でした。次回は2度目3度目の再発のお話であります。
実は今3回目の「ぎっくり腰」の最中で腹ばいになり書いている始末で毎日の執筆は無理かと思いますので、その点お許し下さい。
2019.2.28 高座2
ギックリ腰(2)
現在進行中の左足の猛烈な痛さ(痛いのなんのって一歩踏み出すたびに突き上げるような痛みが左足全体に響きわたる)は坐骨神経痛と申しまして、椎間板ヘルニア(椎骨の間でクッションの役割をする椎間板がつぶれて飛び出し、近くの神経を圧迫して痛みが広がる症状)のひとつで御座います。
座ることも、ましてや立つことも痛いので、しょうがないけど横になることだけが、それほど痛く無いと言った塩梅で御座います。今も背中にクッションを置き、それに寄っかかって腹にiPadを載せて片手打ちで文章を書く状態なんです。
何と申しましょうか、これも痛みを忘れる助けになるんですね。そんなことでお話を進めさせていただきますと、一番大変なのはトイレに行く時で御座いまして、先ず立ち上がるのが一仕事で、四つん這いになって、蛙のように「ゲロゲロ」ならぬ「イタタ、イタタ」と思わず声を発しながら、杖と柱に身を持たせかけて、やっと立ち上がる次第で御座います。
話は少し逸れて恐縮でございますが、この「杖」普通の杖であってそうでもありません。この杖は自作で御座います。
実は私定年後に地元のソフトボールチームに入れてもらいました。そこで面白い投法を見ました。それが100年に1人と言われる逸材「上野由紀子」の投法でありまして、腕を水車のように回す「ウィンドミル(風車)」で御座います。
私これに魅了されて無謀にも挑戦したので御座います。その練習場所が家から30分ほど先にある公園で、大きな桐の木があることから「桐畑公園」と申しまして、80㎝ほどのコンクリートの石垣がありまして、その上が緩やかな傾斜となっており、踊り場のような平らなところもあり、上の道に続いているところで御座います。
練習でボールを壁に向かって投げるのですが、これが結構技術がいるもので、ボールがみんな上の方にすっぽ抜けてしまいます。
これは投げ方が根本的に間違っており、右腰に当たるようにボールをはじき出すのですが、腰骨にぶつけることができません。これは5年間練習しても習得できなかった難しい投法ということで御座います。という訳でボールがあっちこっちに行ってします。それを拾いに行くのは結構面倒でいちいち崖によじ登らなくてはボールは回収できません。
そんなある日、公園の木の枝払いがありました。その木の枝が私の杖になるのですが、それはまた次回お話しすることにしましょう。こんな調子で話が落ち着かないのも「オチ」が難しい落語調のせいなどで御座いましょうか。