saji2017pre

2019.8.4 暑さ対策(2)
 暑さの残る夕刻、いつものように散歩に出た。雨の気配はまるでないが、気温は30度を超え蒸し暑い。そうした中比較的広いアスファルト舗装の道路を歩いていると、道の片側一面に打ち水した跡がある。前回紹介した打ち水である。ここでも伝統的暑さ対策をみることができた。枝道に入ると、人家の軒先に葡萄(ブドウ)棚がせり出して家の塀に引っ掛けるようにかなり広く葉が生い茂り、葡萄の瑞々しい緑色の球体が釣り下がっている。これはマスコットか。暑い日差しを遮り、おまけに高級な果物を提供してくれる。これこそ一石二鳥という伝統技である。ここでは見かけなかったがゴーヤの棚を作って日影を作り、果実も手にするというのが最近流行っていると聞く。
 軒先で涼やかな音色を奏でる風鈴も暑さ凌ぎになる。風を感じさせる。素朴な音色が特色である南部鉄製風鈴は、多くの家庭で涼を振りまいている。
 今回はこうしたこまごました暑さ対策の数々を紹介することにしよう。
 流れる水も涼を誘う。このHPでも紹介した下水道を地下化し上を遊歩道にしたところでは、よく浄化水を小川にしているところを見てきた。これなど上手に水の流れを利用した例である。子どもたちが水の中に入り遊んでいる姿を見るのも夏の風物詩である。徒然草第55段(吉田兼好)の「深き水は涼しげなし。浅くて流れたる、張るかに涼し」の一節があるが、日本庭園などでは実際の雨水を利用して川の流れのように見せる手法がとられている。これなども涼しさを演出する工夫といえよう。
 今時分から月半ばにかけては花火のシーズンである。7且27日のこのコラムで紹介した「花火大会」も夏の涼を産む。
 夜の光の祭典を観る女性の浴衣姿も涼し気だ。浴衣の原型を調べると平安時代に遡る。貴人が蒸し風呂に入る際、汗取りと肌を隠す目的で着用された「湯帷子(ゆかたびら)」といわれる。これが夏場に涼しいということで、江戸時代に入って、庶民が外出する時に着るようになったといわれている。
 団扇(うちわ)や扇子(せんす」などは夏の必携品といえよう。優美な絵模様を描いた京団扇や浮世絵などを描いた江戸団扇など色々な地方で形や図柄は違うが、納涼の道具として重宝されている。扇子は折り畳みができるので、持ち運びに向いている風を産む道具である。将棋の大会で棋士が手元でパチンパチンと扇子を鳴らして思考する姿をテレビでよく見かける。扇子は棋士必携のアイテムである。あれが団扇では全く絵にならない。  こんな風にして古来日本人は暑さ凌ぎに工夫を凝らしてきたという歴史がある。

2019.8.7 祭りと縁日(1)
 先週の土日は我が町の祭りがあった。お盆で多くの町民が国(故郷)に帰ったり、外国に旅行する時期を避けて早目に行うというのが、この時期にした背景なのだろう。
 そいうことは関係なしに、子どもたちは元気がいい。朝早くからエッサエッサという掛け声を上げて神輿を担ぎ、山車を引いている。山車を引いている子どもの数は、こんなに町内に小さい子どもがいたのだろうかと疑うほどで、この地域では少子化は問題なさそうだ。
 こうした地元の祭りを見て、自分が子どもの頃を振り返ると、終戦直後で何にもない時代だったから、神輿や山車などもなく、近くの神社のお神楽やアトラクションとして地方巡業する芸人のパフォーマンスを見るのだけが、楽しみと言えば楽しみだった。
 そんなことを回顧しながら、子どもたちの元気な掛け声を聞くと隔世の感がする。そういう意味では古くから伝わる伝統行事が結構復活しているのは確かである。
 祭りと似たような夏の風物詩に縁日がある。縁日自体は一年中行われているのだが、この季節が縁日に相応しい時期のように思える。露店が軒を連ねる中、女性のゆかた姿で歩き回る光景などは夏だけに見られる風物詩と言えよう。
 さて、縁日は言うまでもないことだが、露店の賑わいが一番の目玉であろう。綿菓子やお好み焼き、金魚すくいなど後で 紹介するが、そのアイテムは数多い。そうした露店を眺めながら、団扇片手に出かけると日本の原風景のようなものを感じさせてくれる。
 縁日が並ぶのは寺の境内の外である。これは縁日というのが「神仏の降誕、示現、誓願などの縁(ゆかり)のある日を縁日と呼び、祭祀や供養が行われ、この日に参詣すると普段以上の御利益があると信じられた。とくに有名なのが年の初めに行われる最初の縁日で、初天神、初観音、初不動などがよく知られる縁日である(wikipedia)」。縁日には境内の外に露店が並び、お参りの人で賑わう。お参りが主か、縁日を楽しむが主か分からないが、持ちつ持たれつの関係にあるようだ。
 縁日に出店する露店は個人で勝手に店を出せるわけではなく、その元締めとしてテキ屋( 的屋)とか香具師(やし)の存在があり、独特な仕組みを持っているので、そうしたものに視線を当てて次回も「縁日(2)」を紹介するつもりである。

2019.8.10 祭りと縁日(2)
 縁日に出店する露店の仕組みを探る前に、店に並べられるアイテムを上げてみる(河出書房新社刊「懐かしの縁日図鑑」から)。
 まず頭に浮かぶのが「綿菓子」や「金魚すくい」であるが、最初に食べるものから紹介していこう。
「綿菓子」は真っ白でふわふわして雲のような甘い菓子であるが、材料はザラメと割箸だけというシンプルなもので、ただ買うだけでなく夜店で綿菓子を作るところを眺めるのも楽しい。参考までにこの綿菓子、熟練者が作ると丸2日はふんわりしたままビニール袋の中で漂っているという話だ。
 次は色とりどりに鮮やかな「あんず飴」だ。氷の上に並べた幾つものあんず飴の中からどれを選ぶかは子どもたちの思案のしどころである。定番はやはりスモモの甘酢漬けで、真赤に着色されていて、食にうるさい母親はダメ出しするところだが、ここは一番大目に見てあげよう。
 次に上げるのは「カルメ焼き」。これなどは家庭でもおやつに作った覚えがある。これも原料はザラメである。プーと丸く膨らますのにはコツがあるようで、素人が作ると中の空気が抜けてしまうことが多く、それなりの技が必要である。そうした経験をもつお年寄りに人気のある「軽目焼き(とも書く)」ではある。
 続いて食べてしまう(舐める)のが惜しいのが「あめ細工」で、動物の姿を注文に応じて、その場で鮮やかな手つきで作ってくれる。兎、馬、りす、鳥が数分で姿を現す。これは大変な技で大道芸の域に達している。
 以上幾つかピックアップして紹介したが、いずれも砂糖が主役の縁日ならではのお菓子である。
 次は「お遊び屋台」へと話を進める。私の年代ではほとんどが経験したであろう縁日の遊び屋台に「射的」がある。鉄砲を腕一杯に伸ばしてコルクの球を景品めがけて打ちこんで、うまく射ち落とせば景品が手に入るというゲームである。ほとんどが外れでムキになって小遣いを全部使い果たすという仕組みになっている。どこか大人になって夢中になって財布を空にしたパチンコを思わせる射幸性のある出店である。
 何と言っても屋台の目玉は「金魚すくい」であろう。これは夏の夜店には欠かせない風物詩である。これもコツがあってすくい網の紙が破けるまで金魚を掬い続けることができる。小さい金魚をうまく掬えばビニール袋に入れて持ち帰ることができる。家で金魚鉢に入れ替えて育てることになる。水道水に金魚を直に入れるとカルキが入っていて死んでしまうこともあって、悲しい思いをすることもある。こうしたことは生き物の育て方を学ぶ一歩にもなる。次号に続く。

2019.8.14 祭りと縁日(3)
 縁日に出店する屋台は非常に種類が多い。今回は「お食事系の屋台」に目を向けて食欲をそそられることにしよう。
 今とは食生活が大きく違う昭8年-30年の記録を見ると「ゆで卵」「すいか」「バナナのたたき売り」などの屋台が出店しており、時代背景が色濃く出ている。香具師(やし)の口上は次の塙で紹介しようと考えているが、ここで「バナナのたたき売り」が出てきたので、その口上は我々同世代には懐かしいので、レコードを引っ張り出して、さわりのところを再現してみる。
 『どうだいこれは、見るからにふさふさとした黄金色で、うまそうなバナナだね。おいおい坊や、そこでよだれを垂らしちゃいかん。このとおり、見ただけでもよだれの出るほどにおいしいが食べたらなおのことおいしい。ほっぺたのおちること請け合いだ。もっともほっぺたが落っこちたからといって、わしの方では治療代は払わない事になっているよ。あとで苦情が来るといけないから、これだけはハッキリことわっておくよ。ソレ。お客さん、バナナはね、そうやって見とれているだけの物じゃないよ。買って帰って食べるものだよ。・・・』とまあこういった具合で、こうした口上に乗せられてつい手が出てしまうのである。ベテランの口上は真打の落語家並みの口舌であったと言う。
 話を戻して今でも露店として見ることができる屋台はと言うと「焼きそば」「お好み焼き」「たこ焼き」「イカ焼き」「じゃがバター」などが軒を連ね互いの店の味を競い合う。当然のことだが、うまい店には行列ができ、評判がイマイチの店には閑古鳥が鳴く。という光景が展開する。矢張り最近は、上に示したような売り口上は聞かれないので、味が勝負で、全般的に縁日のデモンストレーションが影を潜めているのは寂しい限りである。
 タコ焼きやお好み焼きは、テキ屋の隠語で「コナモノ」と呼ばれるそうで、縁日屋台の初心者は、まず「お面」や「おもちゃ」を売る「ウリモノ」を経験してから、次に難しい「コナモノ」を手がけるという段階を踏んで顔をお広げていく仕組みになっている。
 次回は縁日を仕切る「香具師」とか「的屋」の商売の仕組みを探って見ることにする。

2019.8.17 香具師と的屋
 縁日に登場する香具師(ヤシ)とか的屋(テキ屋)といった人たちは、どのような生業(なりわい)をして生活を立て、どのような組織を作っているのだろうか。我々の目からみれば異質な存在であるので、詳しく調べてみた。
 香具師という呼び名は『薬師』からきている。戦国時代浪人武士がしのぎの足しに薬を売り歩き、客寄せのためにちょっとした武芸も披露したのがはじまりという話で、それを証拠立てる文献がある。 1735年(享保20年)に、「十三香具師」という名がはじめて職業名として使われたという「古事類苑」という文書に残っている。それによれば、この十三は「丸、散、丹、膏、香、湯、油、子、煎、薬、艾(よもぎ)、之古実(何の実か不明)」の13種類の薬や香や実などでそれを名付けて13香具とするという記載がある。これで薬師と香具師の結びつきが明らかになった。
 さて、商いにはショバ争いがつきもの。そこで当時はいつ商売敵が攻めてきてもわかるよう小高いところにある神社仏閣で市を開いていた。その後時代が下がって敷地の貸し借りを折衝するようになり、神社仏閣と共存共栄の縁日になったのである。
 そして徳川時代、戸籍の作成とともに、商人には商号が義務づけられ、このころ香具師は弓に長けた野武士の頃からの仕事を生かし、町人向けの弓矢を作り、射的も経営していた。そこで商号を『的(まと)屋』とし、それが今につながる『テキ屋』という説がある(懐かしの縁日図鑑 前掲)」という風にまこといしやかに伝えられている。
 次に香具師といえば「寅さん」ではないが、流ちょうな口舌と身振りで客を引き付ける「口上」がつきものである。先の図鑑では「口上つきの商売を『タンカバイ』と呼ぶ。タンカバイは客の購買心をくすぐり、そして客もそれを楽しむ。昭和40年代(1965年-)ごろまではよく縁日でもみかけられてものだ」とあり、私が子どもの頃は縁日のこうした風景は当たり前だったのである。
 こうなると野毛の大道芸ではないが、日本の庶民文化財として保存して、どこの縁日に行ってもこうした口上が聞けると面白いなと思う。次回は「私の口上」

2019.8.21   私の口上
 御用とお急ぎでない方はぜひ読んで頂戴。驚いちゃいけないよ。このコラムダラダラと伸びたゴムのように続いて、もう6年目に入っている。数えてみると、週2回掲載しているから何回になるのか連番を付けなかったから正確なところは分からないが、大体のところ1年で100回として500回を優に超えたことになる。
 何と言っても75歳から始めて今年は81歳だから、最近の年寄りは頑張ると思うでしょう。えっ「読んでないから分からない」悲しいこと言うね。一度手にとって読んで頂戴よ。お代はいらないよ。何しろ読んでも腹の足しにはならないから値段は付けられない。大体このホームページ(HP)は宣伝などしていない。まあ口コミだろうか常連客は有難いもので数十人はいるようで、そう言う大切な読者のためにも書き続けなければならない。
 実はこのコラム、アラビヤンナイトの「千夜一夜物語」のように1,000回を目標としているので、まだ道半ばといったところで、10年間書き続けなくちゃならない。
 85歳まで体が持つかそっちの方が心配だ。でも無理はいけないよ。歳に免じて2日に1回の更新にしたらと言う声も聞こえてきそうなものだが、貧乏性というか粘着質というか、体が元気な間は毎日更新しないと気が済まないんだよ。
 おっと売り口上で泣き言を言っちゃいけない。何と言ってもこのHPのウリは浮世絵を原版のように鮮やかに生き返らせてお見せするところにある。これがそうだ。どうだビックリしたろう。こればっかしは実際に見て(視て)貰わないことには始まらない。だからこれをご覧の皆さん、スマホをいじっているお年寄りが近くにいたら、是非奨めて頂戴。
 暑かった夏もそろそろ終わりだね。でもねこれからが大変だ。ムシムシと汗が身体にまとわりつく湿気の多い日が続くよ。皆さん見た目より年取っていらっしゃりそうだから熱中症対策にはくれぐれも気を配って、私も含めて毎日元気に暮らそうじゃありませんか。

2019.8.24 もう秋
 これを書いる23日は。この画面のアイコンが示す「時の風物詩」にある「処暑」。処暑はそのまま「しょしょ」と読む。「処暑とは二十四節気の一つであり、暦の上では立秋に続く秋の節気で、暑さが収まる頃と言われ、近年は気候変動などの影響か残暑が激しい年が多いが、朝夕は少し涼しい風が感じられるようになる時節である」と記されている(コトバンク)。
 今回は移り行く季節をテーマにスケッチすることにしよう。
 日が陰る夕刻、散歩に出ると道端に蝉のなきがら(亡骸)を見かけることがよくある。蝉を捕食するカマキリなどの昆虫がいなくなってしまったせいなのだろうか。普通なら蝉などは道端に転がって天寿を全うする生き物ではないと思っていた。蝉の声はするが、どこか遠のいているような気もする。こんなところに秋を感じるとは寂しいことではある。
 25日に予定している生物百様で取り上げる花は「むくげ(木槿)」だが、この花は一日花で朝咲いて夕方にはしぼみ、翌日には別の蕾(つぼみ)が開くところから「朝開暮落花」という別名がある。一茶の歌に「それがしも其の日暮らしぞ花木槿」と詠まれており、何か身につまされる思いがする。
 季節は秋とはいえ、まだ外は摂氏30度近くの日が続く。散歩に出ると帰るころには背中にびっしりと汗が噴き出て、快適とはほど遠いが、それもあと一週間。本格的秋はすぐ目の前だ。
 タイトルの「もう秋」はトワエモアのヒット曲「誰もいない海」の歌詞の中の言葉の一片であるが、今年の夏は早々と大型台風が西日本以南を襲いお盆帰りの人たちもゆっくり休む暇もなく、やっとの思いで帰宅したと報道されていた。
 「誰もいない海」というと何か静かで寂しげに聞こえるが、テレビなどで観ると大波が押し寄せ、波頭が霧のように強い風に舞っている様を見せつけられると「荒(すさ)ぶる神」の怒りに、人々は右往左往するばかりで、自然の猛威は人の想像を絶するものがある。
 この時期子どもたちの長い夏休みも終わりに近づき、あとは面倒な宿題が残されていることだろう。子どもたちはこの夏の日記に何を書き(描き)思い出に残すのだろうか。

2019.8.27 たな卸し(1)
 企業においては月単位、前期、後期、年次などで製品や材料などの在庫状況を知らべるたな卸しという作業をする。私もそれを真似てこのHPのポケットの中身がどのくらいあるのか調べてみた。
 一応それぞれのポケットの変遷の跡を辿ってみると、2014年(2013年のスタート時点を含む)の初期画面は次のようになっている「古い画面」(クリックしてジャンプ)。 これを見るとポケットの名前は今とは違うことが分かる。知る(Memory)、記す(Note)、写す(Photo)、撮る(Movie)の4ポケットである。今これを書いている時は現在のホームページから「過去のページ」アイコンを辿っているが、過去のHPから順にその後のHPを閲覧することはできない。それはHPを記述するアプリのルールでは、アイコンの『home』は常に現行の初期画面にリンクする約束なっているからである。従って過去のページを見ていただいていても、『home』ボタンを押さないように、他のボタンを押してそれぞれのアイテムの中身をご覧いただきたい。
 さて、2015年以降の初期画面は現行のものになっている。それは今の説明(タイトル)のほうが実態を反映しているからだと考えたからである。実際には気分転換だったのかもしれない。それ以降変えないのは、そういうことに手間暇かける意欲が失われたからで、ページのデザインを変えるということは構造を変えることにつながるのでバンタビ(晩度)できるものではない。
 というところで、新たに決めたコラムの字数制限(550-650)を超えたので、今回はプロローグということで締めさせてもらう。(725字)

2019.8.30 たな卸し(2)

 さてこれからそれぞれのポケットの中身を見ていくことにしよう。最初は「知る(memory)」で、最も活動の中心に置かれてきたものだが、残念ながら足腰が弱ってからは取材ができなくなり、もう2年が経過している。従ってここで紹介するのは元気なころの在庫と言うことになる。
 当初のサイトマップ(クリック表示)を見ていただくと、東海道五十三次のうち神奈川県に入る「川崎宿」から始まり「戸塚宿」で終わるまでをかなり詳しく紹介していることが分かる。「故きを温ねて新しきを知る」という発想に従って歩いたもので、実査が中心であるので、今見直しても私の能力ではこれ以上の成果は望めないものと思っている。
 サイトマップその隣は「公園散策」で山下公園や港の見える公園など定番ルートをはじめ緑区や青葉区など緑道を取材した。木々や花々が中心でスライドショウが多い。中には花火大会を撮ったものもあり、これは結構受けていた。残念ながら紹介できる長さが10メガバイトぐらいに制限されるので、2時間取材して1分ぐらいしかお見せできなかったが、雰囲気は伝わったと思っている。何と言っても取材は量が中心で、それをいかに編集するかで伝わり方は随分違うということを経験した。
 その隣は「風の記憶」という抽象的な表現のコーナーだが、公園とはちょっと違う「祭り」とか「ぼろ市」のようなものにスポットを当てたもので、人の賑わいが絵になるものを紹介している。
 駆け足で紹介したが、これが後の「のぞむ(watch)」の前身である。次回は「記す(note)」をたな卸しする。