1月5日神社に初詣しようと思い立って、家の近くの神社に赴いた。京浜急行神奈川新町駅の近くにあり私の足でも30分(普通の人なら15分)ほどで行きつく。
この神社正式名称は「笠のぎ稲荷神社」という。「のぎ」という字は当用漢字外でノギ偏に皇と書く。これは多くの祭神の中の中心に明治天皇が祀られているからで、特に勅許されたもので由緒正しい。
かつてこのHPでも書いた横浜の東海道「神奈川宿」でも紹介したが、横浜市が建てた案内板には次のように示されている。
「笠のぎ稲荷神社は、社伝によると天慶年間(938~947)に稲荷山の中腹に創祀され、元寇に当たっては北條時宗より神宝を奉納されている.元禄二年(1689)に山麓に移られて、霊験ますますあらたかとなり、社前を通行する者の笠が自然に脱げ落ちるということから笠脱(ぬき)稲荷大明神と称された後に笠のぎ稲術神社と改称され明治二年に現在地に遷座された。
また、この神社に土団子を供えれば病が治るとの特殊信仰もある。お礼にひとき団子を供えるという」
境内には横浜市指定の古木・名木「クスノキ」も巨大な姿を見せている。
この神社に来たのは初めてではなく、地元のソフトボールチームに属している時は毎年正月にここを訪れ、身体安全・必勝祈願を受けていた。確かにチームにいる時は元気で走り回っていたのに、今はこの体たらくだから、それもあって健康祈願の神様を疎かにしてはいけないと一念発起したわけである。
そもそも稲荷神社というのはお稲荷さんも鎮座しているので、数多くの霊験が豊かである。
ビデオの後半で紹介している「板碑」は横浜市指定有形文化財で次のように記されている「平成六年十一月一日指定
所有者笠のぎ稲荷神社
所在地神奈川区東神奈川二丁目九番一号 時代鎌倉時代末期~南北朝時代初期
寸法 高172.5センチメートル 上幅37センチメートル 中幅38センチメートル 下幅41センチメートル
通称「稲荷山」と称した山の麓に位置していましたか、明治初期に現在地に移されました、碑の形態は頭部を三角形とし、下部には二条の深い切り込みが施され、身部は粋線によって長方形に区画されています。身部の上位には阿弥陀如来をあらおす種子「キリーク」を、中位には天蓋を配し、その下位中央には、六字名号「南無阿弥陀仏」の梵字か薬研彫りで力強く刻まれています。
本板碑は阿弥陀を主尊とする板碑ですか、天蓋を配した六字名号と一対の塔を刻した特異な板碑で、木碑に見られるような変形か五輪塔を刻す板碑は極めて少なく、中世の墓制を知るうえで貴重な資糾てす。平成七年三月 横浜市教育委員会」とある。
お参りしたことで気分的には何かすっきりした。でも、帰り道はすでに五千歩を超えていたので、カミさん(神様ではない)に迎えに来てもらい車で帰宅した。