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これから話す物語は明治の文豪正岡子規が、青年時代から書き始め25年間も書き綴った随筆を、勝手に現代風に変えて読んでもらおうという不遜な試みである。

 筆まかせ抄現代訳 第十話 哲学の発見(2)


 小生は幼い時からなぜか詩歌を好むという兆候が見られた。八、九歳の頃外祖父観山翁のところに素読*(そどく:意味の解釈を加えず、本の文字を声を出して読み上げること)に出かけた頃の話である。ある朝玄関に入った所、その近くに二、三人の塾生が机を並べていたが、その内の一人が帳面を持っており、その中には墨で字を書きその中に朱色で字を書いているのを見た。「それは何か」と尋ねたら「師である」と答えた。小生は最初から朱字の何たるかは知る筈もなく、詩がどういったものなのかも知らなかった。
 「朱字は添削してより良き言葉に置き換えるということなどは全く知らなかった」ただ紙面の黒い字と赤字が入り混じったのを見て「綺麗だな」と思ったのである。「早く年を取って詩を作るようになりたいな」と思った。
 その後しばらくして観山翁は無くなったが、引き続き土屋久明先生のところへ素読に行ったのだが、ついにこの先生に詩を作る手始めとして「幼学鬢蘭」を教本として、まず平仄*(ひょうそく;漢字の平(ひょう)と仄(そく)。平声(ひょうしょう)に対して、上声(じょうしょう)・去声(きょしょう)・入声(にっしょう)をまとめて仄とする。漢詩作法の上で大切な分類)の並べ替えを学んだのは明治11年の夏のことであった。
 それからは五言絶句を毎日一つづつ作って見てもらった。こうした事は数か月で中断してしまったが、その後数ヶ月が過ぎてまたもや再開した。
 明治13年春になって竹村、三並、太田数子と同親吟会なるものを立ち上げ、毎週金曜日の夜に各人の家に集まって詩を作り、それを河東静渓(かわひがしせいけい)先生に見てもらうことになった。続く
*は脚注 2019.3.8



 

 

 

 

 

 

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