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これから話す物語は明治の文豪正岡子規が、青年時代から書き始め25年間も書き綴った随筆を、勝手に現代風に変えて読んでもらおうという不遜な試みである。

 筆まかせ抄現代訳 第十四話 オーバーフェンス

 
 小生が寄宿舎生活をしていたころ、夕飯を4時半に食い終わり、ストーブを囲んで話をしているうちに、話題も尽きて少し寂しくなったところで、誰かが「何か食いに行かないか」と切り出した。こういう時はジャンケンかトランプで買い物役を決めて、焼き芋や菓子を買いにいくことがよくあった。後には賄い(まかない)役を決めて2銭の手間賃を払うことにしたが、この門限破りが段々と大胆になり、いつとはなしにover-fence(オーバーフェンス)という言葉ができて、宿舎の柵を乗り越えて無断外出することが横行するようになった。
 と言ったところで盗みをするほどの度胸もなく、廓に繰り出すほどの金もなかった。ただ蕎麦や汁粉を喰いに行くとか、時には用事があって出ることはあった。よほど思い切ったことでも寄席に行くぐらいだった。
 ある日のこと寒風指を刺すほどに寒く、身体も縮こまってよく動かないような夜に、同宿生数人と二重の柵を難なく越えて表に出ると、夜も更けて三更(* およそ現在の午後11時または午前零時からの2時間をいう。子(ね)の刻)に近く、家々の窓には光なく、ただ犬の声がワンワンと遠くに聞こえる。1町(*109m)ばかり行って、小川町(*神田小川町)の勧(*缶)工場の裏手に出ると、ちょうど都合よく鍋焼きうどんの屋台に出合った。
 これは天からの授かりものとばかりに二、三杯づつの饂飩(うどん)をフーッツルツル、フーッフーッ、ツルツル、ザブザブと吹いては流し込んだ。食い終わって「ああうまかった」「ああ寒い」と言いながら小川町に出れば、店は皆戸をおろし、光はただ蕎麦屋の行灯(あんどん)だけ。明かりが消えて客を待つ風情であった。
 それでは「一杯を傾けん」とばかり、そばやへ入りまたもや二椀食べて帰途についた。少し歩いていくと後ろの方から「オーイオーイ」と呼ぶ声がある。熊谷次郎直実(*『平家物語』「敦盛最期」の段における平敦盛との一騎討ちは能の演目『敦盛』といった作品に取り上げられている。その中で馬上の平家の若武者を呼び止めるくだりをもじっている)ではないが、これに劣らぬ勇士の一人同行仲間の菊池仙湖の声である。何事かと立ち止まって振り返ると、仙湖は大福餅を抱えながら早くも一つを頬張っていた。敵に後ろを見せるのは残念なりと、張り裂けるほど膨らんだ腹をかかえて、またもや大福餅に頬を焼き腹をあたためる始末となった。宿舎に帰ってドウっと横になったのだが、実に愉快であったかは筆舌に尽くしがたいことではあった。
 後にこの抜け駆けの功名を聞いて、もっとも羨ましがったのは佐々田氏であった。2019.4.4



 

 

 

 

 

 

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