これから話す物語は明治の文豪正岡子規が、青年時代から書き始め25年間も書き綴った随筆を、勝手に現代風に変えて読んでもらおうという不遜な試みである。
人間は見聞した以外のことを想像するのは中々できないものである。
人がもし心の底から何か創造しようとするのなら、恐らくそのものの材料を基にして創ろうとするのではなく、それは人々が見聞した材料を集め、見た目には新しいように辻褄合わせしたものに過ぎないものなのだ。
例えば、「熊にあらず、羆にあらず」「鳥魚にもあらず」「人間にもあらざる」一種の鬼神を想像する場合に、到底こうして集めた材料では創造することはできない。ただあっちから、またこっちから異種のものを取り集めてきてこしらえるだけのことである。例えば胴から上が人間で、胴の下を魚として人魚と名づけ、あるいは猿頭虎身蛇尾のものをこしらえて鵺(ぬえ)と名づけ、あるいは鬼と称するものも人間のとても醜い顔貌に角を着け毛を着けただけのものをそう呼んでいる。
天女と言っても人間に羽を着け尾を着け足を除いただけのものである。神変(*人知でははかり知ることの できない、不可思議な変異)極まりない竜でさえも、角があって、眼があって、鼻口があり、顔があり、尾があって、足があって、鱗(うろこ)がある。ただ獣の形と蛇の形を混ぜ合わせて鳥のように飛ぶのが変なだけである。一ッ目小僧や、三ッ目入道のようなものも、人間にある機関(*部位)のある部分の数を多くし、あるいは少なくし、小さくしてみたり大きくしたのに過ぎない。これらの妖怪だって機関を減らして、耳を欠き、鼻を欠き、視覚を欠きなどしても、五官(*五感)のほかにただの一官をすら付け加えることはできない。
即ち人間は色声臭味触(*五官とは目耳鼻口舌) のほかに物体の性質があるとは知らないということである。2018.4.12