これから話す物語は明治の文豪正岡子規が、青年時代から書き始め25年間も書き綴った随筆を、勝手に現代風に変えて読んでもらおうという不遜な試みである。
自分が郷里にいる時に呼んだ小説は馬琴の著作物かそうでなければ「水滸伝」「武王軍談」「岩見英雄録」「佐野報議禄」の類であったので、小説は皆こんなものかと思った。
そういう訳でかかつて安長松雨と共に小説を作ろうという計画したことがあるが、その嗜好は「水滸伝」のようなもので、上野(こうずけ)の榛名(はるな)、妙義抔(みょうぎほう)に山塞(さんさい)を構えた義賊を主人公とし、本の中身はすべて戦争シーンだけで満たしたいと思っていた。
その後東京に来て「梅暦(うめごよみ)」を見て、まだ十分にその妙味を知らなかったのだが、馬琴などとは全く変わっていたがため、珍しいと思ったものなのだが、すぐ飽きてしまった。
その後1年余り経ってまたふと「梅暦」を読んだところ、大変面白い。そういうわけで人情本に心酔してしまった。ある時は一か月に壱円の貸本代を払ってしまうこともあった。
その外の小説を知らないと日本の小説は皆こんなものかと思っている折に「書生気質(しょせいかたぎ:*坪内逍遥)」の出版があった。自分はこの本を飛び立つほど面白く思って、こんな風な小説がこの世にはあるんだなあと幾度も読み返して飽くことを知らなかった。
その後しばらくして少しは英語の小説もかじり読むようになったが、始めのようなほどの感じは受けなかった。
「浮雲:*二葉亭四迷」世に出るに及んで、言文一致の新趣向を取ってみると、目先が変わってとても面白く感じたものだが、続々といやな言文一致の文体が流行し始めたので言文一致にはこりごりしてしまった。そんな折に読売紙上で、ふと篁村翁「* 饗庭 篁村(あえば こうそん) 明治時代の小説家で演劇評論家」とお馴染みになり、爺(じじ)っぷりのよいところに惚れこんで今もこれを愛読している。
そうした訳で自分の文章も嗜好と共に寒遷(*移り変わることを謙遜していう語) し(まづいことはまづいけれどまづいながら)、はじめは馬琴のように中頃は春の舎流「*春のやりゅう(意味不明だが書生気質に傾注している頃のことか)」となり今は饗庭派に傾いている次第である。2019.6.10