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これから話す物語は明治の文豪正岡子規が、青年時代から書き始め25年間も書き綴った随筆を、勝手に現代風に変えて読んでもらおうという不遜な試みである。

 筆まかせ抄現代訳 第二十一話 俳句(*発句)と俳諧

 

 発句(*たとえば和歌の5・7・5・7・7の最初の5の句)と俳諧とはどんな区別があるのかと問われれることがよくある。
 私は常に次のように答える「俳諧ということは『古今集』の終わりにもあって、その意味は雅語(*平安時代を中心とする古典にみえる「正しいことば」をおもにさす)だけを使わず、俗語も交えて使うという意味などだけれど、今見ればそれほど俗とも思えない。かつ31字であるのだから和歌とそれほどの違いはない。
 ところが後世になってからは文字の数に関わらず、俗語を使うのを俳諧という慣わしがある。そのような仕方で中で17文字のものを発句という。それ故俳諧の中の一部分が発句である」と、しかるにこの頃たしかな筋から聞いたところでは「そういう訳ではない。俳諧とは俳諧連歌のことで、発句とはその初めにおく17文字の句のことである。故に発句というものは俳諧から出たのだ」と私はここで悟るところがある。
 思うになるほど発句は俳諧連歌なるものから出たことに間違いない。であるが、俳諧と言って俳諧連歌を意味するということは、博物学と言って動物学を意味するようなものだ。後世にその真意を変えたもので、元々俳諧というのは雅語だけによらない所から出た文字なのだ。
 故に『俳諧七部集』といってもやはり発句を含んでいるから、発句は俳諧の一部とみて誤りではないと思うものである。  2019.6.29


 

 

 

 

 

 

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