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これから話す物語は明治の文豪正岡子規が、青年時代から書き始め25年間も書き綴った随筆を、勝手に現代風に変えて読んでもらおうという不遜な試みである。

 筆まかせ抄現代訳 第二十四話 自炊(千代萩)その1

 

 私は先に今までの中で心苦しいことが二度あった言ったが、よく考えると三度ある。その一度というのは明治16年に始めて東京を出た時のことである。その時は10日ほどは気楽に遊びくらしていたのだが、とっても遊んでばかりでいられる身の上ではないので、浜町のお屋敷の中にある書生部屋に入って自炊したことである。
 そもそも書生小屋というのは屋敷内にある長屋のつづきであるので、南北は同じ長屋で壁一枚で区切られている。入口は東にあって西は格子を打った三尺ほどの高窓があるだけだ。間口は二間ほど奥行き四間ほどとなっており、類汚い部屋二間と台所とおぼしき流しのある一坪ほどの一間がある。
 家は幾年も掃除してない有様で役所の衛生係から苦情が来そうなほど煤けており、昼間も薄暗く、畳には焼け跡があったり、水、醤油などに煮しめられたあとも見える。ただ見ただけでも汚くて不快な所に入り込み、牢屋に入ってもこれほどの有様ではないだろうと思われたが、仕方がなかった。
 同居人は2、3人いて、同じ国の者ではあるが、私よりは年を取っており、その上嫌味が多くねちっぽい根性が曲がった奴等だった。その上一面識もないので話もせず、また話したいとも思わなかった。
 とは言っても始めてこのように同居する際は囚人が新しく入所するときは古株の囚人に対するように、これから何かにつけ指図を受けることになるので「今日から参りました。お頼み申します」と挨拶し、多少の荷物を納戸などに入れて、先ずそれも済んだので火鉢の前に座った。この箱火鉢は半ば崩れ半ば焦げ、灰は固まって塵もあげない。マッチのなきがらは墓碑のように林立している。土瓶は底の方半分以上が真っ黒にこげて下に火も灰もないところを見ると、炭はなくて薪を焚いたものだと思われる。汚くて不快なことは分かっていてもその事を言うわけにはいかない。
 こうして飯時になると当番の者が飯を炊き、おかずを作って食わしてくれる。飯は柔らかなのだが、まだ蒸し切れていないものだった。おかずは温かいのだが牛房(*ゴボウ)の煮たものぐらいだった。そうは言ってもこの他に古臭い香のものが出た。カビが出るほど古い醤油もあった。飯は存外(*思った以上)にうまかった。こうして二日間は無事に過ぎていった。
自炊(千代萩)その2に続く。2019.7.23


 

 

 

 

 

 

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