homewatchimagepaint2017pre


  
これから話す物語は明治の文豪正岡子規が、青年時代から書き始め25年間も書き綴った随筆を、勝手に現代風に変えて読んでもらおうという不遜な試みである。

 筆まかせ抄現代訳 第二十五話 自炊(千代萩)その2



 三日目は私が炊事当番だった。正岡(*本人のこと)のめしたきは先代萩(*デジタル大辞泉:浄瑠璃・歌舞伎劇。本外題《伽羅(めいぼく)先代萩》。伊達(だて)騒動を脚色した作だが現行の台本はいくつかの浄瑠璃・歌舞伎脚本が混合して成立したもの。伊達綱宗を足利頼兼,原田甲斐を仁木(にっき)弾正の役名で脚色。頼兼の子(*頼兼の跡を継いだ鶴千代「綱宗嫡子の亀千代に相当:4代藩主・伊達綱村」)を守護する乳人(めのと)政岡が,わが子千松の犠牲によって,幼君を毒殺から守る〈御殿〉の場が有名。これに出る「政岡」と正岡子規の出番の飯炊きにかけていると考えられる)に似ているが、芝居を見るような気楽なものではない。
 私は郷里にいるころ一度も自炊したことがなかったから万事勝手を知らず、まずどうすればいいのか聞くことにし、昨日の当番に向かって「飯の水加減はどのくらいなんですか」といえば「勝手に判断したらよろしい」という。この野郎と思ったが、こっちの方に弱みがあるので少し我慢した。すると傍(そば)にいた男が「中指の二番目の節まで」とか教えてくれたので、それを頼みに立ち上がって台所に行き、米をとぎ釜に入れ竃にかけ、まきを下に入れて火をつけようとしたのだが、薪がない。「これはどうしたらよいのか」と聞いたところ「薪のきれっぱしでもってたきつけるのだ」というので、まきを見ると最早大方取り尽くして今は、まきらしきものは見当たらない。「切る物はどこにあるか」と聞いたところ「包丁はない」という答えが返ってきた。やっとのことにきれっぱしを少し見つけ出して火をつけたが、きれっぱしは燃え尽くして、まきにはつかない。こんなことを二度三度繰り返して私はたびたび涙を浮かべたりした。これは煙にむせて出た涙ではない。私の心から出た涙である。
 思えば思うほど故郷ほど懐かしいものはない。親ほど有難いものはない。今までは金殿玉楼(*大変に立派で、美しい建物)に住まないまでも、人がやってくれるのに任せて何一つ不足とも思わずに暮らしてきたが、それも一時の夢だったのか。やんごとなき上臈(*年功を積んだ位階の高い人)の落ちぶれなされて、豆腐を買いに行く有様を芝居で見た時はあまりの可笑しさに笑ったのだが、今は我が身に降りかかかってきたと、千松のような子ではないけれど、親の恩を思い知ったものだ。
 やっとのことで飯も出来た。いざ菜(おかず)という段になって、香の物も醤油もない。「買って来い」と鶴千代ならぬ、嫌な人から促され、渋々古徳利に醤油で濡れた紐のついたのを下げてすごすごと表に出た。
 暫くして片手には沢庵を一、二本、縄で縛ったのを引っ提げ、片手には醤油徳利をぶらつかせて走るように急いで帰ってきた。菜もいい加減にこしらえ、サーこれからがお膳立てである。香の物を切ろうとして沢庵を俎板の上におき、包丁はといえば小刀の折れたやつ、しかも沢庵が、ささくれて切れるほどの切れ味である。
 やっと出来上がって飯も終わり、その日も無事に過ぎたので、まず安心と思う間もなく、またもや明日は私の炊事当番という日になってしまう。
 今度は少し慣れたので前の晩に米を仕掛けておこうと、夜の十時頃人の静まるのを待って邸内の共有井戸に行って米をといだりして、おいおい巧くなっていった。はじめのうちは思いもしなかったことなのだが、お屋敷中の古くからいる老女などに顔合わせした時は、何となく恥ずかしく感じた。
 南塘先生がかつて申した言葉に「貧困の中で困難に会い物が足りないことに耐え、むさ苦しいのも厭わない心があって、哀れ深く( *しみじみとした趣きがあって)、自分自身風致(* おもむき。あじわい)あるものであれ」とある。
 私もその言はかねてから気にかけていたところで、その時とてもそのような感じがしたのに相違はないが、境遇が悪かった。
 私が一人ならばそれで良し、あるいは知己親友たちと一緒に水を汲み薪を拾うなど艱難(*苦労)を共にするのならなお良い。自ら料理番となって、あの嫌な嫌いな人に食を供するに至っては風致も消え失せて興も冷める心地がする。 まさにこうした事は心に苦痛を感ずる一つの出来事である。2019.8.2


 

 

 

 

 

 

Copyright 2013 Papa's Pocket All Right Reserved.