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これから話す物語は明治の文豪正岡子規が、青年時代から書き始め25年間も書き綴った随筆を、勝手に現代風に変えて読んでもらおうという不遜な試みである。

  筆まかせ現代訳 第三十八話 言文一致第二


 非凡な友人がいて私の「言文一致の章」を読んで、こう評した「いかにも粗漏(*お粗末)な議論である。言文一致の文と通例の文との差は「デス」と「ナリ」との差ではない。前者(*デス)は精細に直接に表現するものであり、後者(*ナリ)は言いにくい深美蘊奥(*しんびうんおう;学問、技芸などの最も奥深いところ)でも簡単に言いえるものである。しかし、後者のように句調(* 和歌・俳句・詩などの調子)を取るようなものは表現できないものだ」云々とある。私が答えてこう言った「その通りだ」。
私がデスとナリとのみを比較するのは大層自分勝手な論ではある。しかし私は矢張り言文一致を余り好きではない。もとより精細に描写することができるという長所があるということは争うことができないほどの利点であるが、冗長に流れ味気なさは争うことができない弊害である。
その上調子のようなものは小説においては時としては最も必要なものである。私はあながち言文一致を嫌うものではない。
さりとてこの流儀を取り入れるとなると、その文章を作る目的と趣向(*意向)によって決めなければいけない。何もかも言文一致でならないかというのは賛同しかねるものである。2019.11.26

 

 

 

 

 

 

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