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これから話す物語は明治の文豪正岡子規が、青年時代から書き始め25年間も書き綴った随筆を、勝手に現代風に変えて読んでもらおうという不遜な試みである。

  筆まかせ現代訳 第三十九話 大三十日の借金始末(1)


 大三十日(*大晦日)は掛け取りの忙しいだけ、それだけ借金に困る者も多いわけである。書生は大三十日も元日も同じようなわけなのだが、歳暮年始といえばやっぱり平生(*普段)よりは銭を使うことが多くなるものなのだが、毎月の学費は決まりきった額であって、歳暮だからといって一文もふえる事がないから、多少苦しまざる得ないことがある。
 書生といっても今日(こんにち)の書生と十年以上前の書生とでは大違いで、十年前の書生は弊衣破袴(*へいいはこ:風采を気にしないこと。ぼろぼろの衣服に破れた袴の意から)と決まっていたのだが、それに借金などは山のようにあるという有様である。
 そんな状況であるから文無しの書生といっても多少でも登楼(*遊郭に行く)しない者はいないというわけだ。今の書生は金を余計に金を使うが、皆衣食のためにする者が多く、放蕩する者などは珍しくなった。
 そういうことだから歳暮だからと言って借金に奔走するようなことはないものだ。私も放蕩はしなかったが、借金に苦しんだことはある。
 明治18年の頃、私は井林氏、清水氏と共に神田の板垣という下宿屋にいたのだが、毎月の下宿屋への払いが段々と滞り、年の暮れにもなお7、8円残ってしまった。ところが下宿屋の細君は12月20日の頃から毎日毎日催促するが、瓢箪から駒を出す仙術も知らないから、一日のばしの逃げ口上でその日をしのいでいたが、27日頃に至ると井林氏はこの催促に耐えかねて、どこかに影を隠して一向に帰らない。私は清水氏と二人で攻めくる債鬼を追い払うのだが、清水氏は黙々として微笑(*ほほえむ)するのみ、三寸の舌剣を舞いして敵と折衝するのは私一人であったので、31日即ち大三十日になって最早耐え切れずに清水氏を内に残して家を出た。このことは甚だ不人情のように見えるが、実は清水氏とも相談して「敵の攻め来るは常に金をめがけてくるものだ。であるから私がいなくなれば、あながち君を攻めることはないだろう」と約束し、明日(あした)麻布の久松邸で相会(落ち合おう)ということで退去した。続く。2019.12.9

 

 

 

 

 

 

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