これから話す物語は明治の文豪正岡子規が、青年時代から書き始め25年間も書き綴った随筆を、勝手に現代風に変えて読んでもらおうという不遜な試みである。
神奈川についたころは全く夜は明けていた。道沿いに建つ小屋にはつき立ての餅が並べてあった。昨夜来の身体の疲労と共にお腹も空いていたので、知らぬ間に鼻を二、三度スコスコいわして通り過ぎて行った。この時清水、秋山の両氏は一町(109m)程遅れていたが、二、三町行ったところで待ち合わせ「今の餅はどうだ。うまそうだったな」と言うと、秋山は「当たり前よ、うまそうならばなぜ買わぬのだ」と、とても恨めし気に言った。
とはいっても小生が大蔵大臣を務めているから勝手な真似は出来ないからだ。それでも気が付けば、朝飯など食う身分ではないが、何か食わなければならないので、餅を買っても良かったなのだが、これだけ行き過ぎてしまっては仕方がないと思いつつも停車場のところにまで来ていた。
橋の上に立つと汽車は丁度下で発車を待っていた。足がだるいので見てこようと 橋の上に佇んでいるうちに、汽笛一声汽車は走り始め橋の下に入ると思うと、その途端に真っ黒な油煙は我々の鼻口などの穴からプット入ってきた。腹まで侵入するのじゃないかという気がしたのだが、空きっ腹だったのでとても堪らず腹がむかついた。
小生この時、足は疲労の極に達しており、秋山も疲れている様子だったので「もういっそのこと、ここから帰ってしまおうのではないか。行けば行くほど内(出発点)が遠くなるよ」と言えば、秋山は頭をふり「ここまで来て帰るやつがあるか」と言う。
「それじゃ行こうじゃないか」と、ふかし芋を買って歩き始めたのだが、積もり積もった疲労の上に眠ることさえ限られていたので、一町行っては休み、二町行っては息をつき、木の蔭だといっては座り、石があるといっては腰かけた。これは休むということではなくて、なんだか自然に尻が座ってきて、足がなかなかいうこと聞かず、腰を投げるようにかければ、スッカリ落ち着いてしまってなかなか持ち上がらない。これ故、これは「休む」ということではなくて「かしこまる」という言葉を使うことにした。2019.1.23