これから話す物語は明治の文豪正岡子規が、青年時代から書き始め25年間も書き綴った随筆を、勝手に現代風に変えて読んでもらおうという不遜な試みである。
小生はある時どうして哲学を志したか、また哲学思想はどうして発達したのかと考えてみると、漠として捕えどころがない。
前に述べたように幼い時に「天は無限である」と論じたことと、物には極まることがないと演説したことの二つを覚えているだけである。
その後明治16年夏に東京にやって来て、三並氏と一緒に私の叔父を向島木母寺に訪問した。その時叔父は一町(約109m)ばかり離れた閑静な百姓家に連れて行って、四方山話の後で叔父は我らに向かって「墨を白紙にこぼせば紙は黒くなる。実におかしいことである。また男が女の着物を着て女性のような髷を結えば女性と少しも変わらない。とは言っても矢張り男は男であって到底女と言うことは叶わない」云々(うんぬん)と語った。小生がこれを聞いた時の喜びは非常に大きかった。三年の学問もこの一場の会話には敵わないと思った。
されど未だに哲学という学問は知らない。また同じ頃、叔父は私に倫理新説の後に付記される諸家の名言を示して「実に面白いぞ」と言った。小生も実に面白いと思った。そうではあるが、未だに哲学という学問のあるということを知らなかった。
それならば、この時小生の目的は何なのかと言えば、政治家になるのが目的であった。叔父は言葉遊びで小生に向かって「お前は政界に打って出て太政大臣となるか、はたまた国会議長となるのか」と言って笑った。小生も半分笑いながら、半分本気で「そうだ」と答えた。
さてどうして法律とか政治とかに目的を定めたかというと、小生が故郷にいる時某氏が小生に「目的を決めなさい」と言った。小生はこの時はとても当惑したものだ。なんとなれば、小生の嗜好は詩を作り、文章を書くことにあったのだが、小生この時漢学者になる気持ちに傾いており、詩人や絵描きなどは一生の目的にすべきものではないと考えていた。と言いながらもこれといった道は見えない。医者は大嫌いだ。理科学は忌み嫌っていた。それよりむしろ法律か政治に進もうと無理やり決めて、某氏に言い訳したのである。何となれば小生は某氏の言に共感し、目的がないということは愚か者だと思ったからである。
しかしながらこの時、無論哲学とか文学とかいうことは少しも知らなかったのである。名前さえ聞いたことがなかった。
こういう訳で小生は目的が定まっていない少年に無理に目的を他人によって決めてしまうとか、その者の意向にまかせるなどといったように、強制的に目的を定めるというのは良くない。
もし自分の好きな学問を見つけ出せば自然と目的は決定するものである。だから好む道を伸ばすように導いていくことが必要なのである。次回につづく 2019.2.27