三枚町の片倉住宅の北方、道を狭んだ低位の台地(古墳時代造跡分布図B地点)で、小数の土師器片とともに滑石製の紡錘車 (糸をつむときの整速器) を採集した。弥生時代になって、水稲耕作を中心とする食料生産活動を基礎とする生活に入ったが、古墳時代になると、食料獲得に費やした多くの時間と労力を他に必要な技術知識のための代償に支払えるようになる。
大陸よりの新しい知識・技術を導入した専門工人の出現するところとなり、 これがまた、あらゆる生産活動の向上に役立った。専門工人は、生産技術をになう「品部」の出現となる。残念ながら、古墳時代の住居については、 神奈川区内での遺跡調査の記録をみないので具体的に紹介できない。
他の発見例をもって説明すると、古墳時代になっても、一般的に縄文弥生時代と同じように竪穴式住居に住んでいた。初期の頃のものとしては、なかには一辺が三メートル余りの小さな方形の床面をもち、中央部に炉をもった、しかし柱穴を掘るほどでもなかったせいか、柱穴が認められない小屋掛程度のものもあったようである。古墳時代の後半ともなると、竪穴の大きさも大小不揃いとなり、 一辺が10m以上もある大きな堅穴式住居も現われてくる。中には土間の両側に間仕切りがあり、転び床の部屋を備えたものもある。炉にかわり「かまど」が壁面に築かれる。住居の大小、所有物の相異からは階層分化の進行がうかがえる。