郷土の歴史「神奈川区」(2)
第1章 原始・古代の神奈川
1.郷土の姿(1)
「横浜市人口ニュース」(政策局総務部統計情報課)の資料によれば、昭和2年10月1日付けのものが最初で、当時横浜市の区政による総面積は133.88㎢で5区存在しており、鶴見区が19.74㎢神奈川区が44.11㎢、中区が33.47㎢、保土ヶ谷区が18.97㎢、磯子区が17.58㎢と記されている。
それが現在(平成30年3月時点)は総面積は435.43㎢となっている。これは新しい区が生まれたことと、MM21のような大規模埋め立て等による増加と思われる。一方で当初5区であったものが分区が進み18区になっている。その中で神奈川区は23.59㎢と当時に比べ半分ぐらいの大きさになっている。
『市政概要』昭和50年度版によれば、神奈川区は横浜市の東部に位置し、近代日本の表玄関となった横浜旧市街地の中でも中心的役割りを担って早くから発達したところである。
神奈川区の四囲をみると、東は東京湾に面しながら鶴見区に接し、西は港北区・緑区に隣接している。東西の距離は、東経139度40分24秒、宝町5番地の日本石油横浜製油所の地先から、東経134度16秒・管田町175番地先までの約9kmである。南は西区に接し、瑞穂埠頭の先端を区の最南端とする。北は、港北区菊名町に接し、横浜線の寺尾隧道あたり、西寺尾町1121番地先を最北端とする。区の南北の距離は約4.6kmを測る。区の総面積は約23.68平方キローメートルで、人ロは約213300人を数えている。(『市民ノート』昭和五一年十一月十五日、横浜市市民相談部発行)。気候は温和で、年平均気温は摂氏15度、年間降水量は約1500mm-200mmである。
街は、実に起伏に富んでいる。地層からみると、「関東ローム」と呼ばれる赤土が堆積して形づくられた多摩丘陵地帯の東端に位置している。区の始んどは、海抜70m~40mぐらぃの比較的平担部をもった「丘陵性台地」である。低い所といえば、これらの台地を開析する小河川がつくった沖積低地(最終氷期の最大海面低下期(およそ2万年前)以後に堆積した沖積層から成り,現在の海面や河床からの高さがあまり高くない土地を沖積低地と呼ぶ)、あとは近代工業の発展のために、海岸線に沿つて築かれた。例えば守屋町、宝町、恵比須町、千若町、星野町、棉花町、栄町、金港町、瑞穂町などなどの大規模な埋立地である。2019.1.31
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