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郷土の歴史「神奈川区」25


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第4章 黒船来る(1)

黑船さわぎ

開国のひきがねになったアメリ力の使節の来航は、嘉永6年(1853)6月3日に城ヶ島沖合に現われた黒船(蒸気船)四艘の姿は幕府をあわてさせた。翌四日には江戸湾をはじめ房総と相模海岸一帯防備のため諸藩に警備を命じた。神奈川には平戸藩(松浦壱岐守)、本牧に熊本藩細川越中守)など。
 江戸湾内に基地(小柴沖)をもうけたべリーの艦隊は湾内を測量がてら、その偉容をほこり、久里浜の応接所で大統領の親書を幕府側に手交し、 明年の来航を予告して江戸湾をさったのは6月12日のことであった。
 内海警備にあたった細川越中守の家士が本牧警備についたのは8日で、大筒12挺のほか小筒多数を神奈川宮の前の河原から船で本牧に回送した。
 黒船の来航から退去まで、わずか10間にすぎなかったが江戸をはじめ江戸湾内の驚きは異常であったが、黒船の退去にさいし、幕府の処置と狼狽ぶりを狂歌が茶化している。町民のいつわらない声であろうか。
  けん約の継当かへも異国張浦賀表になってびっくり
  陣羽織鳥渡(ちよっと) 異国へ洗い張りほといてみれば浦賀大変
  ぼろの出ぬ内に異国の洗張ひろげて見れば浦賀大変
  アメリカの米のむしんを餅につき御備ばかり沢山にでき
  唐人が米の交易餅につき所々方々お備へか出来
  阿部川わ評判ほどにむまくなしばうきせんにわ合わぬお茶菓子
  古への蒙古の時と阿倍こべにちっとも吹かぬ伊勢の神風(阿部とは老中首席阿部伊勢守正弘のこと)


  毛唐人なそと茶にして蒸気船おかされたのが夜るも寝られず
  日本を茶にLて来たか蒸気船たった四はいで夜中寝られす
  これやこのゆくも帰るもあつまりて知るもしらぬも唐人の沙汰
  天津風四方の通ひじ,〆とじよあやしき姿しばしとどめん
<落し噺し〉に
 「アメリカ国へ帰り候処、国王の申し候わど ふだ、 日本と交易が出来たかと尋ねられ、日本にて米がなければ、此節、何をくってると聞ければ、此節、日本で喰うておりますのは、あわばかりでございます。」
 上品なおら。あわをくった日本人、交易の出来ないアメリ力。 6月、幕府は海岸防備のための巡見をおこない8月には品川に台場を築き非常に備えることをきめた。
 舞台はかわる 翌年1月(安政元年)、黒船の再渡来。正月16日江戸湾に姿をあらわしてから約2か月、和親条約をむすんで、3月21日江戸湾を退去するまで、黒船さわぎにあけくれた毎日であった。2019.9.16

 
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