第4章 黒船来る(3)
日米会談 第1回日米会談は2月12日から始まり、15日は日本側がアメリカ政府からの贈呈品を受領する日であった。電信機、機関車、柱時計、望遠鏡、その他、文明開化の贈り物は日本人に驚異の目をみはらせた。そしてこれら贈呈品(日本側では献上品といった)の陸楊げに従事したアメリカ人たちの日本人に対する観察は自由な国民と不自由な国がらの差異を示している。 日本人が驚異の目を舶来文物に置いたのに対し、アメリカ人はあまりにも旧い日本人の姿に好奇の目を輝かした。
十六日の事件は日本の役人のきもをっぶすにたるものであった。 それは蒸気車その他組立のため上陸した異人のうちの一人(宣教師ビッチンガー)のとった行動(横浜から海をわたって神奈川宿に出、一路東海道を江戸にむかった)で、幕府は一異人の背後に多くのアメリカ人の姿をえがいて恐怖におののいた。
この異人の行動は、野毛浦海苔取船に洲干地先から乗込んで、神奈川宿に上陸、東海道を漫歩、川崎大師河原までも遠征した。民情視察というよりは、きままなャンキーI気質で、鎖国下の幕府当局が驚がくしたのもさりながら、当人はチョンマゲ姿の日本人と土や竹でつくった日本民家を見物し、故国へのみやげ話にしたかったのかもしれない。
応接おわる アメリカ政府から日本側へ贈呈の品々(献上品)のうち、蒸気車(機関車)、テレガラフ(電信機)は文明の利器の最たるもの、陸場、そして組立、そして試験。18日夜には代官江川太郎左衛門が青木町浄滝寺に一泊、 19日陸通り横浜に出て右の利器の組立方を見学、 横浜村名主石川徳右ヱ門宅に止宿している。
3月3日、 応接所で日米和親条約十二カ条が締結調印された。
5日・6日にはアメリカ政府からの贈呈品のかずかずは青本町銀次郎船、同じく喜八船と横浜又右ヱ門船に積入れ、神奈川湊に廻漕され7日には次の浦触が浦賀奉行から出された。
「此度アメリカ獻貢物廻船3艘ニ面明8日神奈川表出船江戸永代橋最寄迄相廻候条引船遅滞差出風之節は無油断致手配怪我無之様可取計候右之趣不洩様相触可申もの也:一神奈川浦賀奉行 伊沢美作守
寅3月7日 仮御役所」
3月19日には横浜の応接所の建物、取りくずし浦賀へ、22日―23日にかけて神奈川・本牧警備の明石因幡藩が引上げた。
江戸湾に2ヵ月滞在した黒船の行動は、つぎつぎ瓦版にのった。とくに注目をあびたのは応接場風景。小冊子として売出されたものに「異国落葉籠」がある。彩色で、江戸湾沿岸警備一覧(海陸御固御場附)、ペリー一行の肖像、軍装、楽器、無船(蒸気船)、汽車(蒸気火輪車之図)、アメリカ全図などを納めている。 2019.10.7