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郷土の歴史「神奈川区」(3)

第1章 原始・古代の神奈川
1.郷土の姿(2)
 上の地図を目安に神奈川区の地形の特色をとらえてみることにする。
 『記念誌』によれば、区の西部域は、鶴見川の一支流である鳥山川・砂田川が、三枚町の東海道新幹線のガードあたりから、菅田町日向根方面、或は、羽沢町聖天方面の奥へと深く入り込み「菅田、羽沢の丘陵台地」を複雑に刻み分けている。羽沢町神明社*1に立つ三角点は標高89.7mと神奈川区内で最も高い。
 区の中央部域は、滝野川・反町川が、横浜中央卸売市場のある山内町埋立地から滝ノ川橋をくぐり、神奈川スケートリンクの脇で二つに分かれ、一つは県立神奈川工業高校前から六角橋方面へ、一つは神奈川区総合庁舎の側から栗田谷、反町方面へと流入し、東横線反町駅や開港時にアメリカ公使館に充てられたりした本覚寺のある「高島台以西の台地」と、栗田谷中学校や平尾内膳物見にちなむ平尾塚、神奈川大学や南神大寺団地などのある「栗田谷・神大寺台地」を区分し、また、孝道教団や浦島小学校、浦島丘中学校のある「鳥越・浦島丘台地」を分けている。栗田谷・神大寺台地の上にある通称「物見の松」*2に立つ三角点は、標高48.2mである。
 区の東部域は非常に入り食っており、入江川・足洗川が、日本ビクターK・Kや太陽油脂などがある守屋町の埋立地から入江橋をくぐって、一つは横浜線に沿って北上し、西寺尾方面へと深く流入し、他の一つは七島町を通り西大口からさらに奥へと入り込んで「鳥越・浦島丘台地」以西と横浜市立盲字校、大口台小学校や神奈川中学校、京浜女子大学のある「大口台台地」を区分し、また子安小学校、浅野学園、錦台中学校などのある「子安台・西寺尾台地」を分けている。子安台地に立つ三角点は、標高39.6mを示している。
 大口坂、平尾坂などの坂道の多い神奈川区の地形は、西部域の羽沢・菅田台地が概して高く『高.中位の台地地帯』。中央部域の神大寺'栗田谷台地、東部域の子安台、西寺尾台台地が『中位の台地地帯』といえる。これらの台地を鳥山川・砂田川、滝野川・反町川、入江川、足洗川などの小河川が樹枝状に侵食し、複雑な開析谷*3を刻みながら曲流して、あまり広くない海草のような沖積低地を形づくっている。

 『横浜市埋蔵文化財遺跡分布図』によると、神奈川区内には約70ヵ所に近い原始・古代の遺跡の存在が記されている。埋蔵文化財遺跡台帳その他の関係資料に照らして時代を概括してみると、まだ容器としての土器の使用も知らない「先土器( 旧石器時代」と呼ばれる大古(約1万5,000年以前)から、土器の使用、弓矢の本格的な使用をみる「縄文時代」( 約1万5,000年前(紀元前131世紀頃)-約2,300年前(紀元前4世紀頃))、そして水稲耕作に基礎をおく農業生活に入つたと認められる「弥生時代」(約1,700-800年以前)、さらに大きな高塚古項や横穴古墳を築造し、わが国の国家としての政治社会制度の確立が問題とされる「古墳・歴史時代」(約1,300-400年以前)にいたっている。このことは、郷土神奈川区が、大古以来、人間を含めたあらゆる生物が、穏やかに平和に生活できた環境をもった地域であったことを物語っている。

*1神明社(羽沢町)は、横浜市神奈川区羽沢町にある神明社。神明社の創建年代は不詳ながら、酒井河内守当所を領していた延宝年中(1673-1680)に社地を免除されたという。明治6年村社に列格、大正5年村内の聖天の杉山神社、具行の蔵王権現、羽沢村の熊野神社、綿打の杉山神社の四社を合祀したと伝えられている。
*2かつての平尾城の跡地にある。
*3一定の連続性を有していた地形面が、侵食などの影響により多くの谷が形成され、地形面が細分化される事象。連続した地形面が短時間に形成される断層地形に特に意味を持つ。2019.2.8


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