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郷土の歴史「神奈川区」30

5 特集「ヘボンの書簡」
前回「神奈川のヘボン」を紹介したが、ヘボン「ジェームス・カーティス・ヘボン(英語: James Curtis Hepburn 1815年3月13日 - 1911年9月21日)」が書き送った書簡から当時の神奈川の状況がよく分かるので、特集として紹介する。

神奈川からのたより(1)
(1859年11月22日神奈川 W・ラウリー博士苑)
 拝啓、前便にてお知らせしたことと思いますが、無事到着。神奈川に家を得、その後一カ月を経過しましたが、わたしどもの諸事情はあまり変りません。 ここのアメリカ領事ドール氏は神奈川奉行にたのんで、 わたしどものために家を世話してくれました。三つの寺のうち一つを選ぶことになり、わたしはいま住んでいる寺をいろいろの点から、特に場所と大きさから見て最も好ましいものと考えて選びました。
 寺の建物は、本堂と庫裡からなっており、私は本堂を選びました。 庫裡より小さいのですが、よく修理すればこじんまりして、わたしどもの住居の習慣と趣味に適するように内部を改造できるのです。
 屋根は瓦ぶきで地面から床まで4フイートで、柱でささえてあり通風がよく、40フィート平方の一つの大きい構えで、天井までは11フィートの高さに紙の障子で、外側は雨戸がしまるようになっております。
 わたしどもは、このだだっ広い家を住みよいように改造し、大小8つばかりの部屋を作りました。 部屋の境はこの国特有の襖でしきり、安息日の礼拝に必要な場合には、3つの前方の部屋を開けることができるようにしました。 寺の修理と改造には130ドルばかりかかりましたが、まあこの程度なら仕事としては割合安い経費だったと考えられます。
 2つの建物に対し1ヵ月16ドルの家賃を払つております。 ダッチ・リフォームド.ミッションのブラウン氏は庫裡を選びました。それで1ヵ月の私の家賃は8ドル減りました。こういうように自分の部屋を作ってみると、周囲には広い美しい庭もあって、まったく住みよい家になりました。
 ニューヨークに住んでいるのと同じような気持のよい住居となるわけです。 勝手口に良質の水の出る并戸があり食物も豊富です。魚、家禽(*カキン:七面鳥、アヒルなど)、鶏卵、サツマイモ、ジャガイモ、インゲン豆、大根、上質の白米、人参があり、時折は新鮮な牛肉、羊肉、仔生の肉などを船長や領事から届けてもらえるし、すばらしい良質のカキを大量に市場から買い入れることもでき、神様は豊かにわたしどものために供え給うのです。 (中略)

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 一般民衆は丁率で親切です。 わたしども外人は、特にわたしの妻は好奇心の的になっています。
 妻が外出するときには、群衆があとからついてきます。 ニユーヨークの群衆とたいして変りなく、無作法でやかましいのです。日本人の労働者の風習や衣服は見苦しくて、無作法でぞっといたします。外国人が彼らの風習になれるまでは、なかなかいやな思いをするのです。 もしもこの地の勝手元で、ほとんど裸体に近い状態で料理をしたり、
 洗いものをしたりしている召使たちをニューヨークの婦人が見たらどんなに驚くことでしょう。
 それに街路を歩いて、冷たいこの頃の季節でも、 ほとんど半裸体で歩いている大人や子供たちに出会うのですが、 せめてわたしどもの周囲にいる者だけには慎しみある衣服を着るようにさせています。もっとも上流階級の人たちは、服装はわれわれとは違っていますが、礼儀正しい服装をしているようです。
 1860年3月6日 この冬、神奈川で得た気象についてお知らせいたします。 1859年11月1日より向う4カ月にわたる気温観測の結果なのです。
 約4回、小雪。 1回だけ5インチばかり降雪がありましたが、24時間も雪は地上に残つていませんでした、 もっとも氷の厚さは半インチ以上になりませんでした。 本国でみられるように地面は凍らなかったのです、 だから春先の雪どけがなく、秋まいた小麦は今、4インチばかりにのびています。
 百姓は畝に30本か40本を一束に植えています。 畝幅は16インチか18インチです。 アメリカでインディアン・ コーンを裁培するように、混合肥料をやり、まわりに鍬のようなもので土をかける。 その鍬には長さ18インチ、 幅5インチばかりの鉄がついています。 なかなか重宝なものです。百姓はこれを上手に手際よく使つています。 (気象情報は省略)
続く。



 
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