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郷土の歴史「神奈川区」32

5 特集「ヘボンの書簡」
前回「神奈川のヘボン」を紹介したが、ヘボン「ジェームス・カーティス・ヘボン(英語: James Curtis Hepburn 1815年3月13日 - 1911年9月21日)」が書き送った書簡から当時の神奈川の状況がよく分かるので、特集として紹介する。

神奈川からのたより(3)
8月27日
もう暑い季節もおわりに近づきました。 涼しくなったので、夏についてお知らせいたします。 炎暑は7月4日以後にならなければ始まりません。7月4日は、まだ大分涼しく、 部屋に火鉢をいれても気持がよいくらいです。 梅雨が終つた7月10日頃から、かなり暑い乾燥した気候が続きます。
  7月、温度計にあらわれた平均温度は、日出時が75度、午後2時は82度、午後9時は78度で、最高の温度は92度、最低は63度です。 暑さはニューヨーク市よりも変化が少なく、一定しているが蒸暑い、もっとも、ニューヨークほど温度は高くありませんが、8月の暑さは7月よりも少し高いでしょう。92度以上に昇つたことがありません。
七月中旬以降、ほとんど驟雨がありませんし、雷や稲妻もありません。 合衆国の大雷雨と匹敵するものはまだありません。 概して、涼風が吹いており、本国の同緯度の気温よりも、遥かにしのぎやすいのです。
 夏を通じて2、3度は、強風が南方よりやって来ます。それが却つて、横浜でも神奈川でも、わたしの杞憂に反して、外人の健康にかなり適したもののようです。この地域には百人以上の外人が住んでいるにもかかわらず、一人の死者を出したこともなく、わたしの知つている限りでは、不節制による以外、一度も、発熱したり、病気にもかかったものがありません。
 従つて、わたしどもの周辺が水田などの、湿地に囲まれていることを考慮にいれると、この事実にあります。 この国が福音の力を感じ始める時は遠い将来のことではありません。実にそれはすでに始められているのです。福音の力は少数の人々の精神に感化を与え、そして福音の光が暗黒と戦っているからであります。 わたしどもは、みな健康でできるだけ語学の勉強に尽しております。どうぞ、ウィルソン夫人やミッション本部の友人方皆様によろしく。敬具

1861年(文久元年)1月4日 神奈川日記
敬愛する友に
わたしは相当の散歩家で、この国の美しい田園を敞歩するのが大すきなのです。大体、森の中をよく歩きます、静寂がとてもすきなのです。小径をみつけることは少しもむずかしくはありません。小径は数多く四方にわかれて、広い道路に出遭うとか、農家につきあたったりします。わたしは東海道をさけ、またできるかぎり市街の道路もさけております、色々とうるさいことがあるからです。それは犬なのです。犬はたいへん多くいて、飼い主がいないのです。しかしよく肥つて、人に慣れています、が外人をみるやいなやほえて逃げて行きます。犬のほえ声はつぎつぎに伝わって、街中にひびき渡るのです、わたしはこの騒音をさけます。



 街路では子供がわたしに次のように挨拶します。「オハヨー」「アナタ」「ジキジキ」「トジン」「バカ」「ヨカ」。しかしこれらの言葉は十中八九、無礼な言葉、意味のなぃ無遠慮な用語で、お互い同士でも使わないし特に目上の人には決して使わない言葉なのです。田舎でもそうした言葉をきくことはありますがこんなに困ったことはありません。 今日は雨ふりの模様でしたので、洋傘をもって出掛けました。寺の附近を流れている小川のあたりの街路をとおって丘のあたりへ行きました。丁度この街路の端の大きい木の木立の中に二つの場所があります、 そこは僧侶や尼僧の死体を焼くところなのです。 この場所でその現場を見たことがあります。函館でもこのような場所が幾つもありました。
 水田をすぎるとき灰白色の 「コウノトリ」の大群を20ヤード離れたところで見かけました。人なれた鳥で、立つと4フイートもあります。そしてしずかに餌をあさっています。別におどろく様子もありませんでした。 森を散歩すると、丁度この季節には大きな背負籠に薪や柴をつめ、 それを背にしょって町に運んで行く女たち、棒切や小さい竹たばを束にして持って行く女たち、薪をつんだ馬をひいて行く男たち、天びん棒の両側に籠をつけ、それを肩にかけて運んで行く男たちに出遭います。 時には馬に乗って町から帰って行く百姓たちにもあいます。 また愉快そうに大声で話しながら行く男たち、特に、一般に常用されている「酒」(日本のラム酒) に酔っているときには非常に大声で笑っている百姓たちに出遭うものです。 こういった田舎の人たちは鄭重で敬礼をしながら至極丁寧に道を譲るのです。
日本の住民は一般に外人を恐れて、外人が通りすぎると、ほっとした様子で、吐息をつくようです。わたしの古い黒い杖は特に注意の的になります。田舎の人たちはそれを一種の銃器と思つているらしく、わたしが立ち止まって彼らに話しかけると、きまってその杖を調べるのです。そしてただの杖だとわかるとかなりびっくりした風をします。わたし自身がこれら純朴な田舎の人々にとっては、大きい謎だったようです。 第一わたしがこんなによく散歩に出掛けるのを不思議に思っています。 殊にこんな道もないような所を歩く理由がわからないようです。 彼らはわたしが将来ここを占領するためこの辺を調査し、 隅々まで精通しようとしているのだと考えたらしいのです。 わたしはまたある地域の地図をつくるために、小さいポケット用のコンパスをもっていますが、彼らにわたしがそれを使うところを見せないように充分注意しています。でないと、彼らがみな心配していることを証明することになりますから。
 こうした外人に対する疑惑の念は日本人の間ではあたりまえとなっています。 最も学識のある人々でも、 外人はこの国を占領して、その政治組織を覆すものだと考えていることがわかりました。
この感情は大変根強いものです。中国ではこのような事実があったからなのです。 だから一般日本人のこうした先入観をとり除くことはなかなかむずかしいわけです。

2019.1119



 
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