5 特集「ヘボンの書簡」
前回「神奈川のヘボン」を紹介したが、ヘボン「ジェームス・カーティス・ヘボン(英語: James Curtis Hepburn 1815年3月13日 - 1911年9月21日)」が書き送った書簡から当時の神奈川の状況がよく分かるので、特集として紹介する。
神奈川からのたより(4)
3月11日
(中略)
李や桃の花は満開ではありませんが商はふくらみ、若葉は出はじめています。麦は青く椿の花は咲き乱れ、今日はタンポポの花をつみました。 雁はほとんど北方の古巣へ飛び去り、ツグミや駒鳥や海描や鴨 など嬉々としてさえずる鳥の鳴音もこの古寺ではきくことができません。
ああ、故国の春がなつかしい、妙にだだっ広いだけで鳴鳥のいないこの地区の野や丘に、もしこれら故国の鳥類でもいればどんなにか楽しいでしょうに。全くここできくのは力ア力アとなく烏、チュチュとなく雀、雁やコウノトリの鳴き声、雉の鳴く音などばかりです。 道路や田畑や森や村はほんとうに静かで、叫び声一つも聞えず、車のわだちの音も忙しい人々のわめきも聞えません。すべての人が、ゆっくりと音をたてずに歩いているのです。
あるときわたしは富裕な農家を一訪ねたいと思っていましたが、ここから3マイルばかり歩いて、その家を訪ねあてました。一軒ばかり訪間いたしました。両家とも主人は不在でしたので主端たちはびくびくしていましたが、家の中に案内してくれて、わたしがみたいと思っていたものをみせてくれました。 別に普通一般の家と変つたところはありませんでしたが、家が大きいのと人工的な庭があることでした。 庭園は岩や丘や湖水や橋や折れ曲つた小路や曲った樹のある風景を小規模につくったものです。
日本の家で一番外人の目につくのは、座敷に家具類をおいてないことです。 平たい、さっぱりした畳と、生花と漢文の掛軸が壁にかかっているだけなのです。 応接室は四角な火鉢に一つかみの炭火を入れてあるだけです。 日本の農家の納屋は厚い土壁で外側は白くぬった耐火の物置のようなもので、それに、肥だめと農具入れの小屋と、三頭の馬を入れる小屋だけです。 豚や羊を飼っていますが、家禽は僅かです、周囲は常盤木の生垣でとりまかれています。 それに立派な門がついています。わたしはこの散歩から帰ってきたとき寺の境内の掲示板をみたのですが、それは指定した日に近隣の寺の住職から種痘を受けるようにとの公示であったのでした.種痘代は天保銭一枚、アメリカ貨解で4セント、その種痘は数年前オランダの医者から日本に移入されたものだとのことです。 しかしほとんど行われていないのです。 何かの理由で種痘に偏見を抱いているのです。 天然痘は日本人の間に流行しています。 私の出会った大多数の日本人の顔にはあばたがありました。
古木の節だらけの幹を掘りかえしている老人に出会いましたが、 その老人の話ではそれを薪に用いるのだと言つていました、 先ずはじめに鋸で切りそこに楔を入れて樹を割るのだそうです。 その老人は小麦や蕪菁を植えてある附近の土地2エーカーに対して幕府にお祝いとして一年50セントを払ったといっていました。また少し行ったところでは6人位の人々が直径4フイートの大きい松の木をたおしていました、 建築物をさけた方向にたおそうとしていました。この国には製材所がまだ一軒もありません。それから、普通の労働賃金銀は、一日僅か8セントばかりです。
敬愛するウィルソン氏、どうかあなたの旧友の愛と心からなる音信とを受けられることを。
どうぞ皆様によろしく。
敬具
「高谷道男編訳へポン書簡集岩波書店昭34」
2019.11.29