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郷土の歴史「神奈川区」34

神奈川区誌最終章(1)
 神奈川区誌の記録も今回のシリーズをもって幕引きとさせていただきます。区誌本編では現代まで続きますが、それは割愛し、これから紹介する「神奈川滞在記 ロバート・フォーチュン」が最終章となります。

6 神奈川滞在記(1)
 神奈川の寺住まい 条約によって、外人の居留地に指定された神奈川の港は、江戸湾の北方に位置しており、横浜は神奈川の南の海岸に所在している。
 私が神奈川に到着した時条約国の各領事達は神奈川地区のそれぞれの寺に住んでいた。私の旧友で、シナのデン ト商会の支配人であり、ポルトガルとフランスの領事を兼ねるジョセフ・ローレリア氏も、神奈川の某寺に駐在していた。親切な彼は私の滞在中、彼の住む寺の一部を提供してくれたが、 この手配は私には何よりも都合がよかった。 その住居や庭はどちらも、私がこれから集める博物のコレクションを所蔵しておく余地が十分にあった。こうして私は、日本の真中にあって最も豊かで興味のある、江戸に通じる街道のほとりに居を定めたのである。
 東海道 神奈川は江戸湾の海岸に沿って、数マイルつづく細長い町で、日本の国道である東海道の主要な宿駅の一つである。昔のオランダ旅行者の紀行によると、戸数が約600戸散在し、江戸から24マイルあるという。これは江戸の真中にある日本橋からの凡その距離で、日本橋を起点として、日本各地への距離が測量されたのである。だから神奈川は江戸の西端ずれからは、 17~18マイルぐらいに過ぎなかった。神奈川宿には宿屋や茶屋が何軒もあって、かつてオランダ人が、長崎から江戸に向う道中の最後の一夜をここで明かし、翌日江戸に入ったものである。



 街道筋の店屋は概して貧弱で、 わずかな生活必需品のほかには品物は余りなかった。 街道の裏の小道から町につづく途中の所々に、仏教寺院や墓地がある。これらの寺は、神奈川にある建物の中では最も立派で堅牢で、最良の地域を占めている。時には境内に日本人好みの花をいろいろ裁培した庭もある。条約国の領事らが仮領事館として駐在したのも、これらの寺である。善良な僧侶たちは、自分の寺を没収され、放逐された迷惑に対して、十分な代償を払って貰えば、彼ら自身のため仏のために次の住居を探すのに反対はしなかった。
(中略)
 街道の通行人 大名の行列が通り過ぎると、 東海道の日々の人馬の往来はまた平常に戻つた。 この辺の街道では荷車は使用されていない。荷物は総て馬の背で運搬される。だから終日おびただしい駄馬が通る。どの馬も驚くべき大型の箱や荷物を積んでいる。つばの広い麦わらの笠をかぶった馬方が、馬上から馬の口細を引いて指揮している。 町を通る時、 駄馬はたいてい馬方に引かれている。 大きな荷物を積んでいる上に、 妻子などの小家族が荷物の中に同居していることも珍しくない。 ある時、私の知合いの二人の友人が、乗馬で田舎道を一駆つていると、その一頭の馬が横荷をした駄馬に接触したため、積荷が転がり落ちて路上に散乱した。馬方が積荷を元へ戻すのを手伝っていた友人は、その積荷の周りに、 馬方の全家族が這い上ろうとしているのを見て驚かされた。 彼らは積荷の間に居心地よく密乗していたのだから。

2019.12.11



 
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