2020.1.1 令和初の正月に思うこと
元旦の手始めのコラムであるので、継続して書いているテーマは次回以降に回して、令和初の正月らしく新年の抱負など述べさせて頂く。
一年経つのが本当に早い。今年82歳になる。年相応にガタはきているため、自由に歩け回れないので取材ができず「watchのぞむ」のポケットを埋める作業ができないのは口惜しい。それ以外特別不自由なことはない。
今年はオリンピックイヤーで、多くの時間をテレビウォッチに費やすことになりそうだが、長生きの功徳とでもいおうか。
歳のせいか記憶力が随分落ちている。過去を忘れるのはいいとして、こうして文章を書くときに文字忘れが多いのには閉口している。パソコンに頼っているとこうなる。かといってノートをとるのは面倒だ。
もう先のことは分からない。毎日こうしてパソコンに向かって作業できるのが生きている証になる。
今年も駄文と雑画で大した成長も望めないが、自分なりにページを盛り立てて送り出していくつもりである。いつも一方通行で好き勝手で、読者の反応を知ることはできない(システムの運用管理が複雑で手間がかかるから)のは、SNSの時代には相応しくないかもしれないが、作者のわがままだということで見逃していただきたい。今年もお暇なときにこのホームページをウォッチして頂きたい。
2020.1.6 初詣2020
今年の正月も早いもので、もう松内が終わろうとしている。そこでいつものテーマは次回からとして正月らしい話題を掲載することにする。
元日、恒例の親戚が集う新年会に行ったのだが、少し早目に出かけて、近くにある神社に参詣することにした。
詳しいこと(記事と動画)はポケット「watchのぞむ」に掲載したので、そちらをご覧頂きたい。親戚の家から神社まではバス停で6つぐらいと記憶してバスに乗り出かけた。行先は「本牧神社」下車する場所は「本牧和田山口」と決めていた。予め地図で調べて見当をつけたものだった。下車して「本牧公園」の道筋にあると思い込んで、杖を突きながら歩き始めた。スマホのナビはプラス4キロと表示され「左折せよ」と出ているが、”感”を頼りに歩いた。ところが本牧山の頂上に着いたがその間それらしい影すらない。近くを散歩する人に神社の存在を聞いたが「知らない」という。どうやら天性の方向音痴が出てしまったようだ。
さればと、道を引き返しバス停付近まで戻り(これで30分のロス1500歩)、マイカル本牧の元映画館の裏道を左に曲がって、再度歩みを進めた。実は神社はずっと先の「新本牧公園」という公園の先にあることが後で分かった。結局3つのバス停を過ぎてたどり着くことができた。いつもの散歩とはかけ離れた距離を歩くことになってしまった。神社にたどり着くまでは遠くの方から聞こえる神楽の囃子の音を頼りに足を運ぶことができた。苦労して到達できた先は人垣ができるほどの賑わいで、山門の手前の公園にまで長い列ができていた。
これからこの神社を取材することになるのだが、その顛末は先に示した「watchのぞむ」または「imageうつす」でご覧いただきたい。
2019.1.9 近畿地方と三重県(お国柄21)
古来国の中心であったという近幾は京都が中心、関西といえば大阪が中心という感じがするお国柄である。
そうした近畿地方(三重、滋賀、京都、大坂、兵庫、奈良、和歌山の2府5県で構成される)を俯瞰すると「大和平野は古代王朝の発祥の地、京都は長く王朝の地で歴史的にも文化の高い地域。大阪は古くから中国大陸や西日本に対する文化の門戸で、 後に城下町として繁栄した。 街道が集中している琵琶湖周辺は行商人が增えて近江商人誕生にっながった。さらに信仰の中心にもなり、伊勢参宮の客を吸収するために熊野の那智を一番札所として紀伊から大和へ入る西国霊場三十三か所の巡礼コースが出来上がった」とまとめることができる。
ここから各地域別に見ていく。最初は三重県から始める。ちなみに私の戦時中の疎開先でもあった場所で、多くの思い出がつまった場所でもある。それはいずれの機会に紹介するとして、気候も温暖で、海女や真珠、松坂牛などに代表される。旧藩時代は伊勢、伊賀、志摩、紀伊の一部からなっていて、 地理的には近畿に属しているが経済的には近幾と中京(愛知に隣接しており、愛・三・岐などという分け方もある。津と松坂では随分違う)の中間に含まれている。交通の便が良く、 秀吉時代に近江日野から転封して松坂城主になった滿生氏郷が日野商人を移住させるなどして、 「伊勢商人」 として定着していった。伊勢商人は江戸へ出て商いをしたり、近世に入ってからは伊勢参宮客を相手にも商売した。
男女の気質が極端に異なるのが三重県人の特質で男性は総じて内気。極度の照れ屋が多く、自分から告白したり、浮気に走ったりなどの冒険が苦手な安定志向なところがある。一方女性はというと恋愛面で見ると奔放で三重男性にはない男気溢れる積極性を持っている。安定志向の三重男性の反動なのか、現実離れしたドラマのような恋愛を望む人が多い傾向にある。
昔からこの地域の人々は金銭感覚に優れていた。伊勢神宮の門前に市を構えた伊勢商人は、決して「不誠実な行い」はしない正直者の集まりだった。元々開放的で、自然と人が寄ってくる気質なので、お金にもあまりセコセコしない傾向は、今でも受け継がれている。
三重県人は仕事の面からみても「伊勢商人」の血筋からか、人と人の間に入って、協力し合いながら物事を進めていくのが得意で、職場には一人欲しいありがたい存在といえるだろう。開放的な性格で少しマイペースが過ぎる部分があるが、誰とでも分け隔てなく付き合うので、上司にも部下にも気に入られる。
あんたはおだちやでもっと周りの空気を読まなあかんに。(あんたは調子乗りだから、もっと周りの空気を読まないといけないよ)
2019.1.12 滋賀県(お国柄22)
県土の中心に日本一の湖「琵琶湖」を抱えた滋賀県。その県民性は「近江商人」を抜きにして語ることはできない。
先ず琵琶湖であるが、滋賀県の面積の6分の1を占め、日本で最大の面積と貯水量を持つ。流れ出る水は瀬田川、宇治川、淀川と名を変えて、大阪湾へ至る。琵琶湖を取り巻く各自治体は、大きく湖南・湖東・湖北・湖西に分けられる。琵琶湖のせいで南北間の交流は少なく、お互いが「無関心」なのだそうだ。たとえば湖東の彦根民が言っていたのは「湖西(高島)は外国」両地域はもちろん陸(鉄道)でつながっている。しかし、湖東民にとって琵琶湖の対岸の湖西地域は「海の向こうの遥か違い国」という印象が強<一度も行ったことがないという人も大勢いる。湖東と湖西でそれなら、湖南(甲賀) と湖北(長浜)に至っては地球の裏側ほどに遠い存在なのだろう。とまあ基本的にかかわりが無いなら、わざわざ交流を持つこともないというのが滋賀流である。
滋賀といえば「近江商人」であるが「近江商人または江州(ごうしゅう)商人、江商は、中世から近代にかけて活動した近江国(現在の滋賀県)出身の商人。大坂商人、伊勢商人と並ぶ日本三大商人の一つである。江戸時代に入ると近江出身の商人は徐々に活動地域や事業を日本全国に拡大させ、中には蝦夷地で場所請負人となる者もあった。幕末から明治維新にかけての混乱で没落する商人もあったが、西川のように社会の近代化に適応して存続・発展した企業も少なくない。今日の大企業の中にも近江商人の系譜を引く会社は多く、のちに日本を代表する企業(伊藤忠商事、丸紅、トヨタ自動章、西武鉄道、高島屋など)へと成長を遂げていった(wikipedia)」
近江商人というと「売り手よし」「買い手よし」「世間よし」という「三方よし」の精神が有名である。その精神の源流は「陰徳善事」という考え方で、陰で密かに良い行いをして見返りを求めないということ。じっくりと仕事をするところは実に謙虚だ。また陰德善事は「正当な利益で得た生きた金を使つて社会奉仕をする」ということでもあり、それが企業の社会的責任だとしている。
近江商人がこうした考え方を持つのは、熱心な仏教信者だからという説もある。初代伊藤忠兵衛は、「商売は菩薩の業」という信念を持ち、仏教の教えを謙虚さと悪心を抑える規範としていた、稼いだ金を自分のために使うのをモットーとする大坂商人に比べると、非常にストイックな商人像が浮かんでくる。
おいでやす彦根へ せっかく来なはったんやで うちにしかないもん 買うていっておくれやす
2020.1.16 京都府(お国柄23)
京都府は、山城、丹波(一部は兵庫県)、丹後の三国だが、丹波と丹後を北部、山城を南部と呼んだり京都市以外をすべてひっくるめて郡部とも呼ぶ。京都は山に囲まれた典型的な盆地で、冬は底冷えし、夏は暑い。京都のイメージは「京女、きれい、京言葉」といった土地柄だ。
京都には1000年の歴史ある王朝文化の地に生き続けてきたという誇りが秘められている。「京都以外はみな田舎」とプライドはどこよりも高い。
そのプライドの現れは、京都の花街で芸子遊びをしようと思っても「一見さんはお断り」と取り付く島もない。
観光客に対しても「おいでやす。ようおこしやしとおくれやしたな」とていねいな言葉で歓迎してくれるが、これは単なる営業上の対応である。この「ホンネとタテマエを使い分ける」「公私のけじめがしっかりしている」というところが、京都の府民性の大きな特徴だ。
京都では思い切ったことをやるときは「清水(きよみず)の舞台から飛び降りたと思って」という言葉をよく使う。これは『清水寺には高い崖に張り出して作られた舞台があり、その崖から飛び降りると所願成就のときに怪我をせずに済み、もしくは死んで成仏できるといわれ、身を投げる者が絶えなかったという。その舞台から飛び降りるほど、必死の覚悟で実行する。(故事ことわざ辞典)』という意味である。
いかにも大げさな表現だが、これは京都の人はとかく「倹約家」または「しまりや」だと言われ、大枚をはたくときは自分を鼓舞するために、この言葉を口にする。つまり京都人はとにかく無駄遣いが嫌いであり、大金をはたくには一大決心で臨むという表れである。
「京の着倒れ、大阪の食い倒れ」という言葉があるが、着るものにお金をかける京都人に対して食べるものにお金をかける大阪人を対比したものだが、これは京都人の質素な食生活を言い当てている。
お国柄は歴史的にも閉鎖的だが、観光名所でもあるので、比較的よそ者にも寛容。しかし愛想のよさとは裏腹に、腹の底では他県人を見下しているところが垣間見える。古いものを大事にするが、新しいものにも関心が高く、目新しいものを真っ先に取り入れるという先進性もある。これも「1番」が好きな京都人ならでは。本音と建前を使い分ける人が多い証でもある。
お越し頂いておおきにどす。なんのおかまいもできまへんが、どうぞ、ごゆるりと過ごしておくりやす。
2020.1.19 大阪府(お国柄24)
大阪は、何かと東京と比較されるが、西日本の行政及び経済や文化、交通の主要都市として知られており、都道府県としての人口規模は、東京都・神奈川県に次いで第3位、人口密度と県内総生産は東京都に次いで都道府県で第2位となっている。
大阪の中心にある商業エリアを北と南に分断し、それぞれを「キタ」「ミナミ」と称すが、これぞ大阪という府民性の塊なのが、道頓堀を中心とした繁華街であるミナミになる。ミナミには、吉本や松竹などお笑い演芸の舞台があり、また、食べて飲んで騒ぐことのできる飲食店や夜遊びスポットなどが立ち並んでいる。そのため、ミナミエリアには、老若男女問わず、遊び場を求めてやってくる、ノリが良く、賑やかな雰囲気を好む性格の人が多いのが特徴である。
また、若い人が集まりやすいこのエリアは、若者ファッションの発信地でもあるため、個性的なメイクや服装でオリジナリティを求める人が多いのも特徴である。
ミナミとは対照的に、梅田を中心としたキタエリアは、大手企業のオフィスが名を連ねるなど、ビジネス街としての一面が強く、大人の街といった雰囲気を持っている。そのビジネス街を中心に、大阪人が愛してやまない阪急百貨店・阪神百貨店の本店や高級歓楽街の北新地もあり、大阪随一の高級感のある落ち着いたエリアである。キタエリアに集まる人は、こういった大人の雰囲気を好む人が多く、ノリがよく笑いに精通した大阪人らしさに誇りは持っているものの、一方では東京のようにスマートで洗練されたものに憧れを抱いているような府民性が見受けられる。
大阪人といえばお笑い芸人"さんま"に代表されるように、大阪の男性はとにかくノリが良いので、面白いことを言って笑いを取ることに快感をおぼえるようだ。また、実際に面白い男性はモテる傾向にあるため、カッコ良くなくてもノリさえ良ければ何とかなると思っている節もある。コミュニケーション上手だが、ノリについていけない相手には「ノリが悪い」と非難する面倒臭い一面もある。
大阪は「ドケチ」の本場のように思われる一面として「親子といえども金の貸し借りにはシビアであるが、もらえるものなら何でも手を出す」といわれるほどだ。「がめつい」などとも言われる大阪人、その実態はいわゆる「ケチ」とは違う、物を大切にし、無駄な金は使わないという「合理主義」がその根っ子にある。戦国時代から江戸時代にかけて何人もの豪商を生み、大阪商人、上方あきんどの名を全国に轟かせた歴史がその背景にある。
ちゃうちゃう!ちゃうちゃうちゃうんちゃう?(違う違う!チャウチャウ犬違うんじゃない?)この大阪弁「何いうてんのかさっぱりわからへん」
2020.1.22 兵庫県(お国柄25)
兵庫県というと神戸や甲子園そして芦屋というイメージがすぐに浮かぶ。これはどこか横浜と似ている。港があり、スタジアムもあり、山手といった高級住宅街もある。そういったところから私は親しみを感じてる。
兵庫県は日本海と瀬戸内海に面しており、日本のほぼ中央に位置する。新幹線、飛行機のアクセスも良く、特に神戸はおしゃれな街として人気がある。 夏には日本海や瀬戸内海などで海水浴やマリンスポーツが楽しめ、冬には但馬地域などでスキーが楽しめる。また、城崎温泉、湯村温泉、日本最古の温泉である有馬温泉があり、多くの観光客が訪れている。摂津と淡路は陽性で外交的、播磨は見栄っ張りで利己的、丹波と但馬は内向的で粘り強く、それぞれの気候や土地柄を反映した顔も持つ。
廻船の発着地として発展した神戸は、港が開港されると外国人居留地や雑居地ができた。但馬は冬は風雪に悩まされ「百日かせぎ」と呼ばれる出稼ぎの風習がある。播磨は海の方へ発展した地帯、丹波は京街道の宿場町として栄えた。ここでも他の地域同様場所柄で気質が異なるようだ。
そうした視点から更に細かく観察してみると次のようになる。
神戸の街のほうはオシャレでプライドが高い人が多く、尼崎や播磨は気性が荒い人が比較的多いと言われている。また、新開地や長田は下町で人情味あふれる人が多く、但馬や丹波など山のほうはおっとり、おだやかな性格の人が多いのが特徴である。芦屋など高級住宅街ではまた別の特徴があるのも兵庫県の県民性ということができる。
全般的にこれらをまとめて県民性をみると「5つの顔をもつ県」ということなる。
・摂津はソフト
・播磨は新しもの好き
・丹波は勤勉
・但馬は忍耐強い
・淡路は開放的
兵庫県全体としては「控え目」とか「スマート」とか「人当たりがいい」などといわれている。
「これ、しとって欲しいねんけどいける?」(これ、してて欲しいんだけどできる?)
2020.1.26 奈良県(お国柄26)
奈良県は、江戸時代には小藩が入り乱れていた。豊かな穀倉地帯で、江戸時代以降は農業が中心で、「せいせい、さんさん、こんこん」といわれたように奈良県に住んでいれば貧困に追い込まれることがないので、地縁血縁が張り巡らされて保守的、没個性的な風土が形成された。戦後は近幾日本鉄道沿線の宅地開発が進んで大阪の労働力を提供する後背地として「大阪府民化」がすすんだ。県外就業者数は日本一。日中県内にいるのは他県人ばかりといった特別な観光地である。
地理的には、紀伊半島内陸部、近畿地方の中南部に位置し、北西部に奈良盆地、北東部に大和高原、それ以外は大台ケ原や近畿地方最高峰の八経ヶ岳(八剣山)といった紀伊山地が広がる。奈良盆地に守られ、気候は温暖で冷害の心配はなく、台風も山に囲まれた盆地が防いでくれるし、固い地盤のおかげで地震もほとんどない。「日本一安全な県」と言ってもいいだろう。
歴史を見ても、奈良といえば平城京から始まった歴史ある社寺の町。世界遺産に指定された法隆寺や薬師寺はもちろん、東大寺の大仏など、世界に誇れる観光地として有名である。
こうした歴史的な古都に生まれ育ち、天下の要害の地に育ったせいか、奈良県民は生活にあくせくすることなく、「のんびり」「おっとり」として、自分の世界観をしっかりもち、他人の意見に振り回されることは少なく、物静かでどこか威厳を感じさせる。
よく「大阪の食い倒れ」「京都の着倒れ」そして「奈良の寝倒れ」という。奈良は「何もしないで、さっさと寝て身上をつぶす」と言われたのだ。これは先に示したように観光地として、大仏目当てに多くの観光客が押し寄せるので、生活に対し何の心配もなく生きていけた。このことは奈良県人は何にもしなくても生活できることからくる無気力さを生みだし、すべてにおいてスローモーで、自己満足しやすい傾向を示すことにつながった。多くの人が訪れることから、順応性が高く、新しい環境や人にもすぐに馴染める適応カもあり、基本的には保守的でマイペース、 周りの騒音に惑わされない県民性といえよう。
A子「昨日え~、駅でえ~、あんた見たえ~」B子「あんな~え~、C子とマクド行っててん」C子「な~え~、めっちゃ混んでてんな。よ?」
2020.1.29 和歌山県(お国柄27)
近畿地方最後に紹介するのは和歌山県のお国柄。県の北部は紀の國、南部は熊野の国と呼ばれ、南は冬でも花が咲くというほど温暖な地で、ご存じ紀伊国屋文左衛門はみかんや材木を船で江戸に運ぶ大勝負をして、巨万の富を生んだことで知られているが、彼の冒険心は「独創性や進取の気性に富む」県民性をよく表しているという。一方八代将軍吉宗は「享保の改革」で質素倹約を励行した。紀北は紀南とは大違いで雪が多く寒い山国での貧しい生活が、このような「勤倹貯蓄」タイプで「金銭にシビア」な県民性を生みだしたという。
県の北と南の県民気質の違いは地理的要因も大きい。紀北地方は大阪に近く商業圏に近い事から金銭感覚に鋭い県民性がみられる。合理的な考えを持っており、損得を考えながら動くタイプが多い。また自分の事は自分でなんとかするというしっかり者が多いという県民性の特徴である。
紀南地方は自然豊かな県で海や山に囲まれていて気候も温暖で住みやすい場所だが古くから「陸の孤島」と呼ばれているが、本州最南端で温暖な気候な為、食物の生産量が多く、中でも果物の栽培が盛んで「果樹王国」とも呼ばれる位、果物の生産が多く美味しい果物が沢山栽培されている。中でも有田みかんは和歌山県の有名な果物として知られている。自然豊かでのびのびと暮らしてきた事から、のんびりとしたおおらかな性格の人がとても多いのが特徴
和歌山県と言えば、観光名所でもある世界遺産の高野山や熊野古道のほか、長い歴史のある温泉地、綺麗な白浜の海など観光スポットも多く県民にとって自慢の場所なども多い。他県の人でも一度は観光に行きたい県である。
県民性をよく表す郷土の偉人二人を紹介する。日本の民俗学の大家、柳田国男と南方熊楠。柳田は兵庫県出身「センスがよく」「プライドが高い」「軽い人間が嫌い」という兵庫県人の特徴を見ることができる。一方、熊楠は「開放的」で「豪胆」な和歌山県民性を代表するかのようなあけっぴろげな話が多い。「話し上手」で「楽天的」という性格はまさに和歌山県の県民性そのものであった。
えー年をして、あたくるではない(いい年をして甘えてはいけない)