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2020.2.2 中国地方と鳥取県のお国柄
 今回から中国地方(鳥取、島根、岡山、広島、山口)のお国柄に移る。かつて中国地方は、四国や九州と畿内を結ぶ交通手段の主役は船だった。弥生時代以来、安全な舟運が中心で、江戸時代の参勤交代も瀬戸内海を船で往復した。明治になって山陽本線がやっと交通の主役となった。山陽道は適当な雨量と暖かい気候に恵まれて生産が豊か。綿やイグサのような農業副産物からイネ、果実、花き栽培もおこなわれた。また、内海に島をたくさん抱えているので、船で島を行商することが盛んに行われた。
 鳥取県は、池田光政が九歳で因幡(いなば)と伯耆(ほうき)を領有したので、藩政を司った老臣は江戸ばかりに目を向けていて、地域の活性化がお座なりになった。山が多く可住面積が小さくて、わずかに一毛作の農業と牛が産業であった。「雨の因幡」「風の伯耆」が風土の特徴。どこでも同じように自然環境で県民性は大きく異なるもので、鳥取県民は風土の特徴を反映してか、「引つ込み思案」ともいわれているが、「よく働き忍耐強い」ともいわれる。
 更に細かく観察すると、地理的には中国地方の北東部に位置し、北は日本海に面し、南には、中国地方の最高峰大山をはじめ、中国山地の山々が連なっている。鳥取といえば鳥取砂丘があり、松葉ガニや二十世紀梨でも知られているが、なぜか地味という印象が強い県である。それは日本で一番人口が少ないというせいもあるかも知れない。
 最近になって空路での首都圏とのアクセスは非常に良好である。陸路では、鳥取県米子市と中国自動車道を結ぶ「米子自動車道」は、鳥取県西部と山陽側を結ぶ基幹道路となっている。鳥取県内でも、鳥取市-米子市を結ぶ「山陰自動車道」により、首都圏・関西圏からの好アクセスをそのまま県内でも維持されている。
 こうした交通路の拡大は県民性にも影響が出てくるだろうが、一般的に純情で辛抱強いが、積極性に欠ける面がある。はっきりした県民性はないとも言われるが、人情家で味わい深い人が多いとも言われている。
 ちなみに47都道府県幸福度ランキング(2016年日本総合研究所)では鳥取は8位と上位にあり、暮らしやすい県ということができる。そうした余裕ある県民性からボランティア活動への参加率は全国3位である。
 とろいからといって、だらずあつかいするな。(のろまだからといって、馬鹿者扱いするな。)

2020.2.6 島根県(お国柄29)
 今回は島根県。神様が集まることで知られる出雲大社が有名だ。古代出雲は「神話の国」と言われるほど神代の時代からの歴史がある土地柄である。お国柄が生まれるのにはそれなりの理由(わけ)があるようだ。
 先ず風土であるが、島根県は中国地方の日本海側に位置し、山や海など豊かな自然に恵まれている。また、離島である隠岐島や、領土問題となっている竹島も、島根県の領土である。島根県は東西に長い県であるため、旧国名で「出雲国」「石見国」「隠岐国」の3つに分かれていた。
 島根県の東側にある出雲地区は、島根県民特有の保守的な県民性が特に強いとされている。そのため、引っ込み思案で消極的であるなど、内気な性格。しかしその分、まじめで勤勉、我慢強いところもある。
 西側にある石見地区には、世界遺産に登録された石見銀山がある。古くから銀の輸出などにより出稼ぎが多く、他地域や他国との交流も盛んだった。そのため、性格も出雲地区の県民性とは正反対で明るく、積極的な人が多いそうだ。
 離島である隠岐地区は、「島根県民」という意識はあまりない。島根県民というより、「隠岐人」としての意識が強く、島国として独立心が強い県民性を持っている。また、野心家でチャレンジ精神が旺盛でもある。その一方で、親切で、純朴な、穏やかな県民性も合わせ持っている。
 県民性を知る上で歴史的にその土地特有の文化を背景として生まれたものもある。当県は食文化が豊かで、松江藩第7代藩主の松平治郷(不昧公)は大の食通で、美食を求めた。その結果、出雲にはたくさんの名物料理が生まれた。この不昧公の貪欲な食欲に応えて新しい料理を生み出したのは「新しいものを積極的に取り入れる」県民性である。代表的郷土料理を上げてみると「宍道湖七珍」。「アマサギ(ワカサギ)」「コイ」「スズキ」「シラウオ」「シジミ」「ウナギ」「モロゲエビ」という七つの珍味のことである。
 県民性をまとめると「温和で人情がこまやかだが、保守的な傾向がある。寡黙で忍耐強いなど鳥取と似たところも多いが、より強い地域のまとまりや信心深さ、それにしたたかな強さも感じられる。仕事に対しては、善良だが人見知りで職場になじむのに時間がかかる」と言えよう。
 レポートがたいぎいのでなげちょく(レポートが面倒くさいのでほっておく)

2020.2.9 岡山県(お国柄30)
 今回紹介する岡山県は備前、備中(びっちゅう)、美作(みまさか)の三つの国から成り、中国五県の中では平野部が最も多い。 中国地方山陽道の中央に位置し、山・川・海すべてそろっているため、中国四国地方の交通の要として古くから重要な地域だった。一年を通して温暖・降水量も少ない。「晴れの国おかやま」のキャッチコピーで有名。その温暖な気候を活かし、白桃やマスカットなど、果物の生産も盛んに行われている。
 総面積は7112平方キロメートル・人口は193.2万人。桃の生産量は全国6位、消費量は2位。ぶどう生産量は4位、消費量は2位。そして、お米・トマト・和食外食費用がなんと全国47位でワーストなのも岡山県のユニークな特徴だ。
 こうした「晴れの国」岡山。明るく穏やか、温厚なイメージがある。男性は積極的でまた合理的で理論的。協調性は高くない方。一方女性は真面目で一生懸命、温厚な性格をもつ傾向も。完璧主義で中途半端なことが嫌いな人も多いようだ。
 冒頭岡山はかつて備前、備中、美作の三つの国で成り立っていたと示したが、備前は岡山県南東部の地名。中心地区の片上は山陽道の宿場町・港町として栄えた。耐火煉瓦工業と備前焼や閑谷(しずたに)学校などで知られる。江戸時代の備中国は、数多い知行地に分割領有された。現在の高梁市にある松山城が備中国唯一の城で、残りは陣屋を構えた。松山城下は江戸時代はじめに備中国で最大の人口を抱えた。倉敷は、城下町ではなかったが、徳川氏政権の直轄地として代官所が置かれ、幕府によって備前国から讃岐国に移管された小豆島なども統治した。江戸時代を通じて発展を続けた倉敷は、松山と肩を並べ、やがてこれを凌駕して備中最大の都市となって現在に至る。
 美作は明治維新後に岡山県の管轄となって以後は県北の一部として扱われ、名称として東部の美作町が残る程度で特に旧国としての美作を意識した活動はなかった。平成25年(2013年)に美作国建国1300年記念事業が行われるなど、再認識が進んでいる。
 「晴れの国」岡山県人は頭の回転が速く、どんな時でも機敏に対応できる。岡山県人の心の奥には「岡山は田舎じゃけんど、大阪や京都の人間に頭では勝てると思うけぇ、大阪や京都が気になるんじゃ」という思いがあるとされる。そうしたことから「競争心が強く」「負けず嫌い」が多いと言う。
 ちばけるばあしょうたらおえりゃあせんで(ふざけるばかりしてたらだめよ)。

2020.2.12 広島県(お国柄31)
 中国地方の県、広島県は日本列島の南西部にある。瀬戸内海の海と中国山地の山に囲まれているため、海の幸にも山の幸にも恵まれている。温暖で、比較的大きな天候の波などもなく何不自由なく生活できるため、陽気で、楽天的、またつらさ知らずの県民性が特徴である。
 県庁所在地の広島市は、政令指定都市に指定されている。自動車産業を中心とした工業や商業が盛んな上に、海や山の資源も豊富なので漁業や農業も盛んである。世界遺産である厳島神社や原爆ドームなど、見所がたくさんある。お好み焼きや牡蠣など名物の食べ物もたくさんあるので、毎年多くの観光客が訪れる。
 広島県は、まず南北に二分され、それがまた東西に二分される。広島市を中心とした県西部と福山市を中心とした県東部に大きく分けられる。広島市を中心とした県西部を安芸地区(安芸地方)、広島県東部の福山市を中心とした地域を備後地区(備後地方)という。また、その他にも県北西部を芸北地区(芸北地方)、県北東部を備北地区(備北地方)という。
 広島市を中心とした安芸地区は、東広島市や安芸郡、廿日市市や呉市などを含む地域の事を指す。広島県の県民性を代表する地区とも言えるだろう。広島県民ならではの熱しやすく冷めやすい県民性で、楽天家が多いのが特徴。安芸地区と備後地区では、広島県内にも関わらず方言も異なる。同じ単語でも言い方がまったく異なるものもあるので、広島の方言を聞けばどのあたりの出身かすぐにわかるそうだ。安芸地区の県民性は「広島県と言えばお好み焼きに広島カープ!」と言ったような地域で、お祭りごとが多く、熱しやすく冷めやすい、楽天的な性格が特徴。
 福山市を中心とした県東部を、備後地区(備後地方)と呼ぶ。福山市や尾道市、府中市、三原市、などを含む地域のことを指す。同じ広島県でも、広島市と福山市では100キロほども離れており、そのためか文化や常識も異なる面が多く、まるで隣の県のような印象を受ける。同じ県内の広島市より、隣接している岡山県の方が近いことから、岡山県の県民性に似ていると言われている。おとなしいながらも、芯がしっかりしている気質が特徴。備後地区の県民性として、合理的な考え方の方が多いこともあげられる。クールな性格の人が多いので、冷たい人と勘違いされてしまうこともあるだろう。
 安芸高田市、北広島町、安芸太田町などの県北西部を芸北地区(芸北地方)と言う。安芸高田市には毛利元就が本拠地とした吉田郡山城跡や、多くのスキー場がある。県民性は芸北地区はどちらかと言うと広島寄りで、安芸地区の県民性とさほど変わりはない。
 三次市、庄原市などの県北東部を備北地区(備北地方)と言う。備北地区は備後地区に区分される事も多いが、三次や庄原などの備北地方は、距離的には広島市から最も離れた地域ながら、広島市との繋がりが強いとされている。そういう所であるので、安芸地区の県民性と備後地区の県民性が混ざっている部分があると言える。
 ほいじゃけえ言うたろうが!(だから言ったじゃないか)

2020.2.16 山口県(お国柄32)
 山口県は3方向を海で囲まれた本州の最西端の位置にあるため、比較的気温が暖かく過ごしやすい地域である。山林も豊かなため、山と海の幸に恵まれている。瀬戸内海と日本海を見ることのできる山口県。そして、自然が豊かなことで、観光スポットも自然を感じられる場所が多い。日本最大のカルスト台地と鍾乳洞がある秋吉台国定公園は全国的にも有名である
 また、明治維新に活躍した長州藩(長州人としての誇りの源)や総理大臣を過去9人も出しているという自負もあり、県民性の特徴としてプライドの高さがある。自分を良く見せたいと気持ちがあるので世間体を気にしたり、外見には気を使う人が多い。義理や人情に厚いのも一つの県民性といえる。
 しかし、そんな山口県民だが昔から恵まれた生活を送っていた名残りなのか、変化を嫌い守りに回る一面も見受けられる。この表れとして都会などに憧れて上京するという人より、地元に残り仲間を大事にする県民性が認められる認められる。県民性の良い一面としては、非常に人情深く義理堅く、正義感の強く、真面目であるなどの点が上げられる。
 土地柄を見ると、山口県は、大きく分けて東部、中部、西部、北部という4つの地域に分けられる。その地域によって、山口の県民性も少し違うようなので、地域別に見ていくことにする。
 東部には、米軍岩国基地や錦帯橋などがある。そんな東部地域の人々は、広島県に近いためか、気が強くて性格が荒っぽい傾向がある。また、方言も広島弁に近いため、余計に気が強いイメージとなっている。
 山口の中心地となる中部地域。県庁所在地である山口市をはじめ防府、周南・下松がこの地区にあたりる。京の言葉を広めたり、縦横に道を分けたりなど京に似せたことなどから「西の京」とよばれている土地であることから、他の文化を受け入れる寛大な県民性が特徴。
 実は山口県内で一番人口が多いのが、西部地域である。海を挟んで福岡県が近いため、利便性が良いのがその理由と考えられる。歴史で有名な壇ノ浦の戦いもこの山口県の西部地域で起った。福岡県が近いということで、都会的でおしゃれな服装などを好む人がが多いようだ。
 山口県の北部には歴史に名を残す萩市がある。萩市と言えば 、吉田松陰が主宰し、高杉晋作や伊藤博文など日本史を動かした幕末の志士たちを数多く輩出した「松下村塾(しょうかそんじゅく)」の存在がある。萩市は国の史跡に指定されている城下町エリアもあるためか、歴史を重んじる性格の人が多いとされている。
なおっしょかんと、さでしてるよ(かたづけておかないと捨てるよ)

2020.2.19 徳島県(お国柄33)
 今回からは海を渡って四国を見ることにする。四国は四つの国が集まった一つの島であるので四国という。ひとつの県でもこれまで見たように県民性は同じでないから、四国も各県で異なるようで、それを端的に示すたとえとして、思いがけないお金を手にしたときに、徳島県民は「元手にして增やす」、香川県民は「貯金する」、愛媛県民は「買い物をする」、高知県民は「祝杯をあげて飲んでしまう」と言われている。
 先ず、徳島県に渡って、その地理的要件を調べると、徳島県は高知県と香川県に挟まれ四国の東端に位置している。四国全域に点在している88か所の霊場(四国八十八ヶ所)を巡るお遍路の起点として有名である。霊場の四分の一以上の寺院は徳島県にあるのだそうだ。
 阿波踊りや鳴門の渦潮などが全国的にも有名で、シーズンになると阿波おどりの「総踊り」見たさに全国から観光客が押し寄せる。この阿波踊りだが、「阿波の殿様蜂須賀公がいまに残せし阿波踊り」と歌に残されているように、その昔阿波(徳島)藩主の蜂須賀家政が城を築いたお祝いにみんなで踊ったのが始まりだとされている。実際には徳島は気候が温暖で、元々は陽気で開放的な気質だったところにあるようだ。
 蜂須賀公は本拠地が尾張で質素・倹約を旨としたので、阿波でも領民にその励行を命じた。そこから徳島県人も勤勉・堅実な人が増えていった。やがて名産品の藍(伝統産業「藍染」)を売る商人をはじめ商売上手な徳島商人が育ち、徳島県人は「へらこい(抜け目がない)」と言われるようになった。
 徳島県を北と南に分けその県民性を見ると、阿北とは徳島県北部の地域で吉野川市、阿波市、美馬周辺を指す。この地域の人は、かなりの「商人気質」といえる。香川県や大阪との接点が多いことが理由にあげられる。資金があればそれを元手にお金を増やそうと考える人が多いとされる。男女関係なく、商売の才能を活かしている。阿波踊りイベントでは楽しむ側ではなく、稼ぐ側になる。イベント期間は稼ぎ時としてしっかりチャンスを掴んでいる。
 南部の阿南は阿南市周辺のことで、この辺りの県民性は阿北と少し違う。阿波踊りイベント期間は稼ぐ側ではなく、楽しむ側になる。比較的に開放的な県民性の人が多いと言われている。しかし、徳島県民は質素倹約が基本の県民性だから、日々のストレスを阿波踊りで発散する。その時だけはとっても開放的になる「メリハリ」のある人が多い。
 今日なんしょんで~?(今何しているの?)


2020.2.22 香川県(お国柄34) 
 香川は瀬戸内海に面した暖かい気候が特徴であり、そこで生活する人達も穏やかで情緒に溢れた性格が多いと言われている。この県民性は「へらこい」気質と言われている。「へらこい」とは利己的で、こざかしく、要領がいいという意味だが、考え方は緻密で合理的だ。商売っ気はあるが、温和で人当たりがいいのも特徴。カネに細かく、見栄っ張りで派手好きな性格は「讃岐の着倒れ」、進取な部分は「讃岐の猿まね」とも言われた。全国一面積が狭く、人口密度が高いので、典型的日本人の姿そのものとされている。
 一日に一度は必ず食べるというくらいのうどん好き「讃岐うどん」といえば日本一の生産量と消費量を誇る。うどんは香川県人の生活に浸透している。だが「うどん」ほどに讃岐の人が腰が強いとは伝わっていない。
 全部で47ある都道府県名のなかでもかなり地味な方に属する香川県。でも、讃岐(旧国名)とか高松市といえばよく知られている。丁度私の住む横浜が神奈川県よりよく知られているのに似ている。ついでにいうなら神奈川県と香川県はよく間違えられる。
 香川県には小さな藩がいくつかあったが、どこも皆、官軍に弓を引いたため、廃藩置県の際に明治新政府から不当な差別があったそうだ。といって、香川県人が根っからの反骨精神の持ち主なのかというと、決してそうではなく、幕末においてもなお徳川幕府を支持していたように、むしろ体制順応の色の方が濃い。その点、時代の動き・趨勢を見抜くのはあまり得意でないのかもしれない。目立たないことをよしとする
 しかし、ひとたび新しい体制が固まれば、ごく自然の成り行きといった感じで、それに従う。順応性、協調性となるという一面を覗かせる。香川県人はとても長けたところがあるのだ。
 逆に言うと、いい意味でも悪い意味でも人より目立つ行動に出ることは少ない。最初に記したように、年間を通じて晴天が多く、気候が温暖な瀬戸内海に面しているせいか、人々の気質も穏やかで明るく、のんびりしたところがある。 ただ、古くから瀬戸内海を行き来する船がひんぱんに立ち寄る交通の要衝でもあったから、情報の密度は濃かったに違いない。だが、目立たないことをよしとする気質のせいか、そのメリットを上手に活用するまでには至らなかったとも伝えられている。
 四国には「讃岐男に阿波女」という、ベストカップルを示す言葉がある。阿波(徳島県)の女性は働き者であるのに対し、讃岐(香川)の男性はあくせくしていないから、一緒に暮らしていて疲れないで済むという意味のようである。
 じょんならんくらい おもっしょいぞ「手に負えないくらい無茶苦茶おもしろい」

2020.2.26 愛媛県(お国柄35) 
 今回紹介する愛媛県は、暑からず寒からず温暖な気候に恵まれている。地域性としては南予・中予・東予と3地域に分かれている。
 南予地区は宇和島、大洲、八幡浜を中心とした地域。内陸部と臨海部でちょっと県民性も異なっている。農業が中心の内陸部の人はコツコツ型で、貯蓄したお金で大きな買い物をして周囲を驚かすことがある。臨海部の人は漁業が盛んで陽気で豪快な人が多く、お金を使い、なくなったら儲けたらいいという散財型の人が多い。
 中予の地区は、松山市・東温市・伊予市を中心とした地域。ここはお城がありお城の城下町があった地域。城下町特有の温和で争いを好まない人が多いため、臨時収入を得ると貯蓄して利息をというのんびりとした堅実なやり方を好んだり、教養を深めることに関心の高い人が多く本に投資する人が多い。
 東予の地区は新居浜市・西条市・今治市・四国中央市を中心とした地域。古くから関西との交流が盛んに行われ時代の流れに敏感で、商人向きの気質の人が多い。そのためか臨時収入をえたら、投資して倍にするという県民性となっている。
 愛媛県人は「何か買う」のが県民性といわれているが、実は、東予は「商売につぎ込み、倍に」、中予は「貯蓄して、利息を」、南予は愛媛県人のイメージどおり「散財する」というように、三者三様。ただ、全県的にはのんびり屋で、強欲でなく、ほどほどに楽しめればよしという性格。人見知りで、初めての人に会うのを億劫がる傾向も。
 それでも全体に共通する気質もあり、調査によれば、愛媛県人が時間を多く使う事柄は、仕事や学業(47都道府県中44位。社会生活基本調査)より趣味・娯楽(同第1位)というデータがある。温暖な気候の影響か、のんびりとした気質が強いのだろう。といって遊び呆けているわけではなく、教養志向は人一倍強い。事実、メディアとの接触時間は第2位(同調査)で、情報に対しては非常に敏感なことをうかがわせる。そのせいか、「流行を気にしない」という人の割合が全国でいちばん少ない(NHK全国県民意識調査)。
 ちなみに松山市は「俳句大国」と呼ばれている。道後温泉近くには正岡子規記念博物館があり、河東碧梧桐、高浜虚子、中村草田男など著名な俳人を何人も輩出している。
 夏目漱石の「坊ちゃん」の一節にある愛媛弁「あまり早くてわからんけれ。もちっと、ゆるゆるやって、おくれんかな、もし」

2020.2.29 高知県(お国柄36) 
 歴史的に見て、高知県は、長宗我部元親が四国を平定したころ、土佐では兵が足らず農民を徴兵し、「一領具足」と呼んだ。 この制度から上下の関係なく自分の意見を堂々と述べる議論好きな性格が生まれたとも。 土佐の人は酒が入るとよくしゃべる。朝まで議論するということから「大酒飲み県」といわれたりする。 
 もともと四国は離島のうえ、さらに山と海に囲まれた高知県は、昔から他県との交流が少なく、独特の気風を持っているのが特徴。
 高知の西側、愛媛寄りにある幡多地域。高知市内の県民を都会人と思っている反面、高知より都会だと信じている愛媛側に住んでいる事でライバル心を燃やし、プライドが高い県民が多い。
 方言も伊予弁が混ざっているので幡多方面出身だとすぐわかるが、市内の方言に合わす事もない負けん気の強い人が多いのが幡多方面の県民性。
 市内をはさんで東側、徳島寄りにある人口が少なめの安芸地域。過疎も進んでいるためとても田舎。娯楽施設などの遊ぶところも少ないので高知市内以上にゆったり過ごす県民が多いのが特徴。
 方言は市内とあまり変わらないが、優しい言葉使いの人が多く、付き合いやすい人柄の多い地域である。しかし、東の海側には漁師が多いので、男性はギャンブルやお酒が大好きな、これぞ高知の男!といった県民性が多く見られる。
 山と海・川に囲まれた陸の孤島と言われている高知県。田舎ゆえに観光客が少ないため、他県からのお客様を珍しがりとても楽しませてくれる人懐っこい一面を持ってる。昼間からお酒を嗜んでる高知県民は、隣の席になった人に絡むのが大好き。
 高知でお昼ご飯を食べていると近くの人に話かけられそのまま仲良くなったといった観光客も少なくない。高知県民は人類皆兄弟と思っている人も多いため、知らない人にも平気で話かけてくる愛想のいい県民性を持っている。
 高知県人、土佐人といえば、男は「いごっそう」女は「はちきん」「はったか」と称されるくらい、分かりやすい県民性でよく知られている。
 いごっそうは、一言でいえば「頑固者」。一度言い出したことはどんなことがあっても譲らないという、よくいえば「意志強固」、悪くいえば「融通が利かない」。
 高知県の女性は「はちきん」と称され「男勝り」「働き者」で「元気はつらつ」「行動力がある」ことで知られている。
 県民性を総括すると、頑固で負けず嫌いが特徴。「酒がなければ、はじまらない」ほど酒を飲む。融通が利かなくてワンマンだ。坂本龍馬を誇りに思うが、何事においてもおおざっぱところが面白い。
いっつもかっつもうもーいくとはかぎらん (いつもいつもうまくいくとは限らない)